古き良き“情”の世界が残る大阪の「屋台ラーメン」

2017年03月20日 18時34分

この道40年以上、屋台を引く棚倉さん

 最近、めっきり見かける機会が少なくなった流し屋台のラーメン屋。とりわけ、リヤカータイプの手押しとなるとずいぶん希少で、昭和世代にとっては、夜中になるとどこからともなく聞こえてくるチャルメラの音に、郷愁を感じる人も多いはず。そんな手押し屋台のラーメン屋を長年続けている会社が大阪にある。ラーメン「大統領」だ。

「大統領」は昭和30年代から大阪市生野区を中心に営業を続け、最盛期には数十人の引き手がいた。車も導入されているが、昭和ノスタルジー漂う手押し屋台を今なお引き続けているのが棚倉史郎さん(73)だ。

 そのキャリアは40年以上。現在も午後2時から準備を始め、同6時ごろには出発。日曜日を除いて生野区や平野区、東大阪市などで日付が変わるころまでラーメンを作り続けている。

 屋台には、スープや容器、プロパンガスなどが積まれ結構な重量。車販売の方が楽そうではあるが「やっぱりこれの方が喜んでくれる人がよーさんおるからな」と笑う。屋台の横には「おっちゃんへ、がんばってね」「ありがとう」などと書かれた手紙が飾られており、ファンから愛され続けているのがうかがえる。

 地元の大阪偕星学園が2015年の第97回全国高等学校野球選手権大会で甲子園初出場した際には「選手に食べさせてやりたい」という要請に応じ、同校前に赴いて激励のラーメンを作ったという。

 現在は、チャルメラもスピーカーで流しているが以前は自ら吹いており「(リードの部分の)わらのとこを吹くんやけど、最初はコツがいったな。ストローでも代用できるけど、今のストローはモノが良すぎて使われへん」。今でも、屋台に携行しており、客からの要望で吹くこともあるという。

 屋台を引く姿にも「あんまり持ち上げると姿がかっこ悪いやろ」と職人のこだわりを見せる。

 そんな棚倉さんの作るラーメンは、昔からほとんど変わっていないという。澄ましスープの塩味系で、煮込むと濁ってしまうらしく、火加減の調整も大変だとか。

 御年73歳と、決して若くはない。「昔に比べたらコンビニもあって便利やし、お客さんは減ったな。正直、社長も金儲け重視やったらやっていかれへんと思うわ」と、利益優先主義の商売が幅を利かせる時代ならではの苦労もある。

 だが「『おっちゃん、子供できたら食べさせに来るから、それまで続けてな』って声かけてくれる人もおるし、わざわざ羽曳野や富田林から車に乗って食べに来てくれる人もおる。そんな人に応えていきたいから、体が続く限りずっと続けていくよ」。手押し屋台ラーメンとともに、そこには古き良き“情”の世界が残っていた。