キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日に90歳で大往生を遂げたことで、世界各国に大きな波紋が広がっている。「革命家」「独裁者」「反米の象徴」の顔を持つ一方で、親日家の一面もあった。カストロ氏と何度も会談し、2012年にはキューバ友好勲章を授与された“燃える闘魂”ことアントニオ猪木参院議員(73)が27日、本紙の取材に応じて、知られざる故人の素顔と秘話を語った。

 猪木氏は27日、都内にあるキューバ大使館を訪れてカストロ氏の死を悼んだ。神妙な面持ちで遺影と向き合うと、友人と最後の別れを惜しんだ。

「全部で5~6回会っている」。初対面は1990年、猪木氏が初めて議員に当選し、キューバを訪れたときのことだ。ホテルで待機し続けて、ようやく迎えの車が来たのは午後11時近く。すでに酒を飲んでいたが、議長公邸に到着すると面食らった。「机に足を投げ出して、あくびをしているんだよね」。公人とは思えないくだけた姿。しかし、これで猪木氏も緊張が解けた。

 会談は午前1時半を過ぎるまで続き、2人は意気投合。一度打ち解ければ、その後は親身に接してくれた。「いろんな人を連れていっても会ってくれた。ブラジルの大統領の就任式のときは『帰りにキューバに寄ってくれ』という話になった。ニカラグアに特別便を出してくれて、キューバに入った」。カストロ氏に「その帽子をいただけないでしょうか?」と頼むと大使に慌てて制されたが、カストロ氏は「いいよ、いいよ」と快諾してくれたという。

 カストロ氏の人柄を表せば「ざっくばらんという意味では型破り、常識破り」。一方で、親日家でもあった。「昭和天皇が亡くなった時、自国に半旗を掲げた。1日や2日じゃない。1週間くらい。世界で唯一、キューバだけだった」。キューバでは日本側の歓待のため日本食にも挑戦したという。

「ご飯やみそ汁、煮付けが出てきてこれは何だ、これは何だと、質問していましたよ。日本酒も飲んでましたね」

 中国を訪問した帰りに来日したこともある。「緊急に来てしまったら受け入れるしかないじゃないですか」。活動家らしくフットワークは軽かった。演説に優れ、カリスマ性があったが、状況判断も巧みだったという。猪木氏は「演説が長いから、テーブルの上にジュースが置いてあるんですね。ただ1回だけ、野球場で超満員のときがあった。そしたら雲行きが悪いんだよね。今にも(雨が)わっと来そうな感じだったから、3分で切り上げた」と振り返った。

 また、猪木氏はこんな裏話も披露する。公邸での会見の時だ。その場にはスペイン人の通訳の女性が同席していた。「カストロさんのお父さんの出身地と女性の出身地が一緒で、そっちのほうに興味があって、話がどんどんそれちゃった。ちゃんと最後は元に戻ったんだけど、結構、女性も好きだった」。英雄色を好むということか。

 昨年12月、キューバを訪問した際、猪木氏はカストロ氏に手紙を書いた。体調がすぐれなかった同氏から返事はなかったが、未練はないという。晩年は米国との国交正常化にも動いた。

「わだかまりが残ったままじゃなく、思い残すことはないんじゃないか」と猪木氏は胸中を察した。

 カストロ氏からはカリブ海に浮かぶ無人島を贈られている。命名「友人猪木の島」。そこには75隻もの海賊船が宝を乗せたまま沈んでいるとの伝説がある。宝の引き揚げはカストロ氏も望んでいた。「『うん、あそこにはあるよ』と言ってましたね。大使館も分かってくれている。歩けるうちに1回(財宝探しを)やってみたい」。猪木氏はカストロ氏の夢も乗せ、キューバ再訪の日を待ちわびている。