余震がなおも続き、17日午後時点で約11万人が避難を強いられている熊本地震。福岡在住の本紙九州版・九州スポーツ所属の記者は14日の地震発生後、県内各地を取材で巡った。16日未明に宿泊先のホテルで最大震度6強、マグニチュード(M)7・3の「本震」に遭遇。被災者たちと避難所で朝を迎えた。  

 記者は熊本市内のホテルに泊まり、翌16日に帰福しようとしていたところで「本震」に見舞われ、予定を変えた。

 暗闇の中で悲鳴の上がる市街地を4時間にわたって取材後、建物倒壊の怖さより疲労に勝てずにホテルで眠りに落ちた。同日朝、断水で市内宿泊施設は休業し、交通網のマヒで市外への移動も困難。夜からの雨で野宿もできず、避難所に身を寄せることになった。

 取材者の立場で申し訳なさしか感じないが、極力迷惑をかけぬよう事前にドン・キホーテ熊本中央店で、毛布や着替え、食品、薬などを購入し、午後4時半に市立本荘小学校を訪れた。

 断水していたが電気は通っている。体育館は満杯だ。人数増加で16日から教室も開放、校庭にも車中泊組がおり、犬や猫、インコの姿も。布雅之校長(55)は「今いるのは750人。前震(14日)も本震も夜間に起きたので、怖いから夜間に人が増える。心的外傷後ストレス障害(PTSD)が心配」と話す。

 トイレを流すため、消防団や小学生まで屋上プールからバケツリレーで1階に水を運ぶ。炊き出しのオニギリは米1粒も残せない。自前の缶詰のムール貝をオカズにして感謝して食べた。子供たちに笑顔が多く、少し安心する。午後10時には照明がついたまま眠りに就く。相部屋の教室で高齢男性がラジオを流す。情報や音楽に接していないと不安なのだろう。普段なら「静かにして」と頼むが、心中を察すれば何も言うことができない。硬い床で眠る共同生活には心身の疲労が大きい。長期化ではなおさらだ。

 17日朝、持参した物資を同校に寄付。東日本大震災で支援した東北の学校から物資供給を受ける予定に加え、卒業生の支援の輪も広がるが、水や食品は圧倒的に不足している。布校長は「粉ミルクがあってもお湯がないので溶かせない。カセットコンロとガス缶があれば。熊本への支援が広がってほしい」と訴えた。