ベトナム戦争を生き抜いた伝説のダンサー「マリコ」の波瀾万丈人生

2016年04月09日 09時00分

ド派手衣装でアジア各地を巡業していた武山さん

【アツいアジアから旬ネタ直送「亜細亜スポーツ」】武山真理子さん(83)。ベトナム戦争後はタイで職を転々とし、首都バンコクで居酒屋「まりこ」を切り盛りしてきた。だが女将を始めて35年、年齢もあってこのほど閉店。

「真理子さんは1月、日本へ一時帰国しました。東京に住む弟さんの具合がよくなくて、介護するためだそうです。1か月ほどでバンコクに戻ってはきましたが、やはり弟さんが心配なようで、これからどうしようかと考えている様子でした」(長年の地元常連客)

 東京滞在中はラジオや雑誌の取材を受け、往年のファンや関係者を集め講演会を開くなど引っ張りだこ。その波瀾万丈な人生は知る人ぞ知る話で、元宝塚トップ女優・鳳蘭(70)が本人役を演じミュージカルになったり、作家・宮崎学氏(70)が本にしている。

 日本占領下の台湾で生まれ、幼少時から軍の基地で童謡や歌を披露していた。台湾へ移り住んだ両親のもと何不自由なく暮らしていたが、太平洋戦争末期、戦況が悪化し一変。連合軍による空襲は激しさを増し、本人いわく「パイロットの表情が見えるくらいの低空で飛んできた」ほど台湾も戦火に巻き込まれ、疎開に次ぐ疎開。終戦後、一家は財産をすべて失い日本へ引き揚げた。

 帰国後は父親の故郷、栃木・宇都宮で働き、金をため上京。進駐軍の基地でダンサーとしての一歩を踏み出す。当時ダンサーの需要があったのは、日本だと米軍基地内だけだったが、真理子さんはすぐ評判になった。

 米国の影響を受け日本各地にキャバレーやパブが増えていくと、真理子さんは日劇の目にとまりスターダンサーに。が、そんな生活も長くは続かなかった。他界した父親の会社経営も任されていたのだが、社員が多額の資金を横領し、逃げてしまったのだ。

「どうしてもお金が必要で。そんな時、ギャラのいい東南アジア巡業の話が回ってきたの」(真理子さん)

 香港を皮切りに、タイ、当時まだ英国領マレーだったシンガポールやマレーシア、そして泥沼の戦場と化していくベトナムで巡業。ベトナム戦争の転機ともいわれる大激戦「テト攻勢」もサイゴンで体験し、生き延びた。

 最前線の米軍キャンプを慰問すれば、米兵たちが熱狂。明日死ぬかもしれない若い兵隊たちは、時に興奮して群がってきた。MP(軍警察)に守られながらの巡業だった。ピュリツァー賞カメラマンなど、戦争取材で名をはせたジャーナリストたちとも親しくなる。

 そのパワフルで明るいキャラクターは今も健在だ。タイの日本語フリーペーパーでは人生相談のコーナーももっているが、弟は放っておけず、真理子さんは今月にも帰国。関係者によるイベントなども予定されている。

☆室橋裕和(むろはし・ひろかず)=1974年生まれ。週刊文春記者を経てタイ・バンコクに10年居住。現地日本語情報誌でデスクを務め周辺国も飛び回る。2年前に東京へ拠点を移したアジア専門ライター。