【新幹線焼身自殺】挫折だらけの人生…最近は公園でカップ酒

2015年07月04日 10時00分

林崎容疑者が流しだったときの名刺

 東海道新幹線「のぞみ225号」の車内で先月30日、焼身自殺した林崎春生容疑者(71=現住建造物等放火と殺人容疑)の半生が徐々に見えてきた。

 岩手から歌手を夢見て上京した林崎容疑者は30年前まで「林」という芸名で東京・荻窪かいわいでギターの流しをしていた。なじみの店で同容疑者から名刺をもらった男性は「ギター持って3曲1000円で『博多の女(ひと)』なんかをよく歌ってた。北島三郎も流しをしていたから、サブちゃんを意識しているようだった」と語る。

 林崎容疑者が通っていたスナックの70代のママは「『林』を含めた男女4人で、2人乗りのスポーツカーに乗って、横浜に海を見に行ったこともあった。小柄だけど日に焼けて目がクリッとした愛嬌のある顔立ちで、若いころはそれなりに青春を謳歌してましたよ」と振り返る。つらい体験もあった。

「林が30歳手前のころ、近くの店で働いていた18か19歳の娘を好きになったの。親がいない子で、横浜で他の男にだまされて(妊娠して)おなかが大きくなって、林は『おなかの子供を俺の子として育てる』って言っていたの。でも結局、彼女は堕胎を決めたけど、手術の日に母子ともに死んでしまったの」(ママ)

 1970年代半ばから、各店にカラオケが導入されたこともあり、流しの林崎容疑者には声がかからなくなった。時代の移り変わりとともに流しを廃業。その後は解体工、バス運転士、清掃業などの職を転々とした。

 前出のママは「最後に店に来たのは2~3年前。幼稚園の送迎バスの運転士をしていたけど、事故を起こしてクビになったと聞いた」という。

 林崎容疑者は、東日本大震災の被災地にある親戚の家に仕送りをしていたとも。最近は近所の公園や空き地でカップ酒をあおる姿も目撃されていた。年金額に不満をもらしていたが、自殺の場になぜ新幹線車内を選んだかはいまだわかっていない。