34年前の「尖閣上陸作戦」秘話

2012年08月17日 18時00分

 韓国の李明博大統領(70)の竹島上陸に続き、尖閣諸島に中国がいつ乗り込んできてもおかしくない緊迫の状況に、日本の弱腰姿勢が改めて浮き彫りになっている。実は34年前、尖閣諸島は中国の脅威にさらされたが、日本の若者たちがいち早く上陸し、中国の出はなをくじいていた。当時、上陸作戦の仕掛け人の一人だった日本経営者同友会の下地常雄会長(写真)が、本紙の独占直撃に長年の沈黙を破って、封印されていた“尖閣上陸”の舞台裏を激白した。

 

 ――34年前に尖閣上陸作戦を実行した。当時、尖閣を取り巻く状況は

 

 下地氏(以下下地):エネルギー資源があることが分かり、中国が「我々の領土である」と騒ぎ始めた。国交回復後で政府は事を荒立たせたくない思いだったが、5月に中国が100隻を超える大漁船団を尖閣に展開してきた。日本も意思表示をしないといけないというのが発端だった。

 

 ――竹島のように実効支配される恐れがあった

 

 下地:尖閣にはもともとかつお節工場があった。上陸だけでなく、ずっと住もうという意思もあって、若者たちが決死隊を結成した。危機感を抱いた国会議員も応援してくれた。大平光洋氏(現国際武道大学理事)が国会関係を取りまとめ、石原慎太郎氏や、亡くなった金丸信さん、竹下登さん、小渕恵三さん、橋本龍太郎さんなど、100人を超える国会議員が賛同し、カンパが集まった。

 

 ――出航後も大変だった

 

 下地:1週間ぐらい音信不通で、沈没したかと心配した。当時は当局がマスコミにも圧力をかけていたので、地元紙に小さく上陸の一報が載っただけ。海上保安庁から、食料がなくなり餓死する可能性があると伝えられ、また物資を届けないといけなくなった。その時、石原氏がセスナ機をチャーターしてくれ、大平氏が米俵を上空から落としたけど、地上に落下した際に米俵はすべて破裂して使い物にならなかった(笑い)。それで何かないかと思い、ヤギのオスとメスのつがいを連れて行かせたんです。どうやら異常に繁殖してしまったようですが(笑い)。

 

 ☆しもじ・つねお 1944年、沖縄・宮古島生まれ。77年日本経営者同友会を設立。93年にASEAN協会代表理事。現日本経営者同友会会長。国内外に幅広いネットワークを持ち、米オバマ大統領ら米国歴代大統領やブータンのワンチュク国王とも親交が深い。