“政界の黄門様”渡部恒三氏死去 2つの自慢は「雅子さま」&「由美かおる」

2020年08月25日 11時30分

渡部恒三氏

“会津のケネディ”“政界の黄門様”との愛称で親しまれた元衆院副議長で、民主党最高顧問などを務めた渡部恒三氏が23日に福島県会津若松市内の病院で死去していたことが分かった。88歳だった。渡部氏といえば会津弁で面白おかしく政局を解説するご意見番としての姿が有名だ。「敵をつくる性格ではなかったですね。党職員にも厳しくない。イメージ通りの人でした。悪く言う人はいないでしょう」(旧民主党関係者)と好々爺ぶりが愛された。

 議員秘書や福島県議を経て、1969年に衆院選で初当選。無所属だったが当選後に自民党に追加公認された。中曽根内閣で厚生相として初入閣。その後は自治相と通産相を歴任した。

 竹下派七奉行の一人に名を連ねていたが、1993年に自民党を離党。新生党、新進党、そして民主党に籍を移し、政権交代に尽力した。衆院副議長を計7年近く務め、2012年の衆院選を前に政界引退を表明。当選数は14回を数えた。

 旧民主党関係者は「秘書を地方議員にして地盤を固めていくやり方をしていました。これは竹下登さんと一緒」と選挙に強い秘訣を明かした。

 民主党を揺るがした偽メール問題のときは、73歳にして国対委員長となり事態の収拾に動いた。当時、水戸黄門つながりで女優の由美かおるから電報をもらってゴキゲンになっていた。

「この電報も渡部氏の自慢の一つですが、もう一つあるんです。通産相時代、日米交渉を行った際に通訳が小和田雅子さん(皇后雅子さま)だったんですって。これは耳にタコができるくらい自慢していましたね」(前出の旧民主党関係者)

 同じ竹下派七奉行だった小沢一郎氏(78)とはケンカしたり仲直りしたりの繰り返しだった。ともに5月24日生まれで、1970年からは27年連続で合同誕生日会を開いたものだが、渡部氏が小沢氏と距離を置く前原誠司氏や枝野幸男氏らを「民主党七奉行」と名付けるなど、2人の関係にすき間風が吹き始めると開催は取りやめになる年も。合同誕生日会の開催が民主党の結束度を表すバロメーターともいわれた。

 菅直人政権下で久々に開かれた合同誕生日会では、渡部氏が「口も利かない3年間もあったんですが、今日から口を利くことができるようになった」と言えば、小沢氏は「彼は彼流に私に悪態をつき、私も私流にシカトした」と笑って応じた。さらに、渡部氏は「私に何かあったら弔辞は小沢さんにお願いしたい」とまで言っている。

「こういうところが憎めない人柄なんです」と永田町関係者は言う。小沢氏は24日、ツイッターを通じて「ユーモラスで誰からも愛される魅力的な政治家でした」とコメントした。

 政界引退してからも、かつての仲間たちをおもんぱかっていた。後輩議員のパーティーに出席した2013年、本紙に「オレは二大政党を政治哲学にしてきて、4年前に実現できたと思ったら、その後は何一ついいことがなかった。あのとき脳梗塞で死んでおけばよかった(笑い)」「自民党の一党独裁体制になるのはよくないし、政権担当能力のある政党は2つないといけない」と訴えていた。

 くしくも立憲民主党と国民民主党が解党して、再び合流しようとしているさなか。渡部氏の遺志を引き継げるのか。