「世界遺産」軍艦島 本紙が聞いていた元島民の“遺言”

2020年06月16日 10時00分

軍艦島

 内閣府は15日から、福岡など8県の23施設で構成する世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の全体像を紹介する「産業遺産情報センター」(東京都新宿区)を一般公開。展示では、構成資産の一つ、「軍艦島」と呼ばれる端島炭坑(長崎市)などで戦時徴用された朝鮮半島出身者が働いていた事実を明示する一方で、差別的対応はなかったとする在日韓国人2世ら元島民の証言なども公開しており、関係者の間で議論を呼ぶ可能性がある。本紙はかつて軍艦島の元島民に話を聞いたことがある。その内容とは…。

 軍艦島を巡っては2015年の世界文化遺産登録後、たびたび朝鮮人労働者の問題が取りざたされている。日本が朝鮮半島を植民地支配していた当時の軍艦島では、多くの朝鮮人労働者が非道な扱いを受けたとされる。政府の取り組みには、こうした定説を「自虐史観」(政府筋)とみて反論する狙いがある。
 軍艦島で生まれて、端島炭坑で働いたことのある男性(故人/取材当時70代)は、“衣食住”の“住”について、かつて本紙にこう語った。

「韓国の人たちは、端島のことを悪く言いますね。『強制労働があった』とか『あそこは地獄島』だとか。本当にそうだったですかね? 母から聞いた話ですが、確かに朝鮮人は、日給住宅の一番下の階に住んでおったとですよ。日の当たらないところですが、食堂や風呂は近くやったから、それはそれで便利やったと思いますけどね。島には、エレベーターがなかったとですから、上り下りも大変でしたよ。階段を上り下りしない分、楽だったはずです」

 明治時代に石炭の鉱脈が発見されて、昭和の時代になってから三菱財閥の手によって開発が進められた軍艦島は、もともと岩礁だけの島だった。そこを埋め立てて鉱業所と住宅を造った。狭い土地に住宅が造られ、まず、日本人労働者が軍艦島に移住し、その後、朝鮮人労働者が移住。先着順だったため、空いていたのは日当たりの悪い部屋だったというわけだ。

“食”については「島民は、みんな仲良くしていて、みそやしょうゆの貸し借りなども行っていました。朝鮮から来た人たちは、日本人と同じように給料日になると酒盛りをやっておったそうですよ。給料は良かったいうから、刺し身なんかも買っておったそうですよ。労働自体はかなりキツかったとですが、仕事が終わればみんなでワイワイやっておったそうです」と同島民。

 遊びの部分も充実していたようだ。軍艦島には、3軒の遊郭があった。「2軒は日本人専用のもので、1軒は朝鮮人専用のものだったとです。日本人専用のものは、『本田』と『森本』ですね。『吉田』というのが朝鮮人のやつです。これも母から聞いた話ですが、『吉田』には、朝鮮から来ていた労働者がよく通っていたそうです。そこで働いていた女性も朝鮮人でした。やはり同郷の者同士の方が良かったのでしょうね。給料が出ると我先にと行ったそうですよ。女郎さんたちはみんな温和で、日本人とも付き合いがあったそうです。あの時代は、ほんわかとしてたと聞いとります」

 南北約480メートル、東西約160メートル余りの軍艦島には多くの人たちが暮らしていた。最盛期(1960年ごろ)には、5000人を超える人たちがいた。そこには、ひとつの共同体が形成されていた。しかし、朝鮮人労働者の問題はいまもくすぶり続けている。