死去・横田滋さん40年の無念 北に振り回されめぐみさんと再会ついに果たせず

2020年06月06日 16時00分

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんが5日、老衰のため死去した。87歳だった。拉致問題解決のシンボルとして、40年以上にわたって先頭に立って闘い続けた滋さんだが、隠蔽し続ける北朝鮮に振り回され、ついに娘との再会を果たせぬまま無念の死となった。

 めぐみさんが行方不明になったのは1977年のこと。当時、日本銀行の行員だった滋さんは中学1年生だった愛娘がこつぜんと消え「事件なのか、事故なのか」と分からぬまま、妻の早紀江さんとともに絶望の淵に追いやられた。

 その後、北朝鮮による拉致と判明し、97年に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」が結成されると、滋さんは代表に就任。早紀江さんとともにめぐみさんの救出、拉致問題の解決を訴え続けた。

 滋さんは実直な人柄で知られ、柔和な表情と朴訥な語り口で娘の無事、帰宅を訴える姿は多くの人が心打たれた。

 めぐみさんが拉致される前日、滋さんの誕生日にプレゼントされたくしを常に大切に持ち続ける姿も涙を誘い、多くの映画やドキュメンタリー番組で取り上げられた。

 しかし、滋さんの活動をあざ笑うかのように、北朝鮮は冷淡な対応を取り続けた。

 2002年には、小泉純一郎首相(当時)による電撃訪朝で、日朝首脳会談が開催された。金正日総書記(当時)は拉致を認めたが、めぐみさんは93年に死亡したと説明。とても受け入れることができない滋さんは号泣した。

 その後、北朝鮮はめぐみさんの遺骨を日本側に引き渡したがDNA鑑定で別人と判明。「めぐみさんは生きている」と滋さんは信じ続けた。07年に家族会の代表は退任したものの、全国各地を飛び回っての活動は続けた。

 14年にはモンゴルで、めぐみさんの娘である孫のキム・ウンギョンさんと面会。滋さんが最も聞きたかっためぐみさんの安否については「仮に知っていたとしても話せないと思う」と当時の複雑な外交背景が災いし、聞けずじまいだった。

 6年ほど前から足腰が弱くなり、講演や集会に参加できなくなり、早紀江さん1人での活動となっていた。

 家族会を支援する国会議員の間では「滋さんが元気なうちに、なんとしてでもめぐみさんを日本に連れ戻そう。拉致問題を解決しよう」と呼びかけられていたが、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との一点張りで、日本政府との交渉は暗礁に乗り上げたまま。それでも滋さんは最近まで、めぐみさんと「再会したい」と口にしていたという。

 滋さんの最期は家族に見守られたという。早紀江さん、息子の拓也さん、哲也さんは連名で「主人と2人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」とのコメントを発表した。

 拉致問題に携わった国会議員からは滋さんの訃報に「ただただ申し訳ありません」と悔恨の追悼コメントが寄せられた。

 小泉訪朝時に官房副長官として同行した安倍晋三首相も長年、拉致問題解決を訴え、滋さんに「めぐみさんを取り戻す」と約束し続けた政治家の一人だ。

 安倍首相は「全力を尽くしてきたが、実現できなかったことは断腸の思いだ。本当に申し訳ない」、拉致問題については「あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動しなければならない」と話した。滋さんの無念を晴らすためにも閉ざされたままの日朝交渉の再開が望まれる。