五輪「オールジャパン体制」のキーマンは森元首相

2013年09月10日 11時00分

 それはヒザ詰め談判から始まった。日本時間8日の国際オリンピック委員会(IOC)総会(ブエノスアイレス)で2020年五輪の開催都市に東京が選ばれた理由として、関係者が一様に口にする「オールジャパン体制」。これはどのようにして築かれたのか。キーマンが浮かび上がった。


 会談は夜まで続いた。11年3月10日。当時の日本体育協会会長で日本オリンピック委員会(JOC)理事の森喜朗元首相(76)は、4選出馬をなかなか表明しない当時の石原慎太郎都知事(80)に「あんたしか五輪をやる人はいない。あの悔しさをバネにして都知事をやってくれ」と迫った。


「あの悔しさ」とは失敗した16年五輪招致。IOC総会開催地のコペンハーゲンから羽田に向かうチャーター機の中で、森氏は石原氏の悔し涙を初めて見た。負けず嫌いの気持ちを刺激して出馬を決意させた。その森氏に石原氏担ぎ出しを要請したのが、当時JOC専務理事の市原則之氏(71)だった。


 石原氏以外の知事では五輪招致をやめる可能性がある。市原氏は「そこでキーマンとして、森さんのところに何度も何度も足を運んで相談した」と明かす。だが石原氏の出馬決意から間もなくして東日本大震災が起きる。「スポーツをやるのは不謹慎ではないかと思った」(市原氏)という非常時に選手たちは被災地支援に動き、「五輪を東京に持ってきてくれと仮設住宅の方々に言われるようになった」。