JR新大久保駅で2001年、ホームから落ちた日本人男性を救おうとして死亡した韓国人留学生、李秀賢さん(26=当時)の父で、秀賢さんの思いを継ごうと日本に留学する若者を支援してきた李盛大さん(79)が21日、韓国で亡くなった。日韓の懸け橋になろうとした父子だった。

 しかし、元徴用工訴訟問題などの“政治”で日韓関係が悪化している。韓国の地方議会は戦時中に朝鮮半島出身者を働かせるなどして軍需物資を生産した日本企業を「戦犯企業」と定義する条例案を相次いで提出。他にも、親日とされた人物の銅像、詩碑を撤去したり、その人物にちなんだ地名や道路名を変更する自治体が続出している。

 また、忠清南道(チュンチョンナムド)教育庁は2月、道内の小中高校713校のうち29校に日本人教師の写真が掲示されていたとして、その写真の撤去を決めた。

 それにしても、文在寅政権下での、一連の“日本狩り”は常軌を逸しているとしか言いようがない。

 韓国事情に詳しい文筆人の但馬オサム氏はこう語る。

「今の自分たちのイデオロギーに反するからといって、学校の歴史まで否定する、あまりにも愚かなことと言わざるを得ません。思い出すのは、近代中国史の悪夢といわれた文化大革命。起死回生をもくろんだ毛沢東が、大衆扇動の末に起こした文革の嵐は、まさに狂気とぶち壊しの嵐でした。文革では、古いものは古いものゆえに悪、新しいものは新しいゆえに悪、として徹底的に排除破壊されました」

 たとえば、仏教寺院は迷信を広めるものとして燃やされ、ネックレスや口紅をつけている者は資本主義的退廃に毒された反革命分子としてつるし上げに遭った。その文革は1966年から毛沢東の死後の76年まで続いた。

 但馬氏は「私は文政権の一連の“日本狩り”を『文化小革命』と呼んでいます。そして、つくづく思うのです、ロウソクデモという“疑似クーデター”で誕生した文在寅政権の本質は、まさに共産主義政権であると」と話している。