【アツいアジアから旬ネタ直送 亜細亜スポーツ】「アジア最後のフロンティア」といわれ、日系企業の進出が盛んなミャンマー各地でよく見かけるのが「軍票(軍用手票)」だ。かつてこの地を制圧した旧日本軍が、現地での支払いに使っていた疑似的な紙幣のこと。第2次世界大戦中、インパール作戦の舞台となるなど、日本軍はミャンマー(ビルマ)に侵攻し、これをバラまいた。

「それが今、最大都市ヤンゴンの人気観光地『ボージョー・アウンサン・マーケット』などで売られている。バゴーやバガンなど人気仏跡がある地方の街でも、軍票を手にした土産物売りに声を掛けられることが多い。映画『ビルマの竪琴』の舞台、ムドンでもよく見かける」(観光客)

 さまざまな額面のものが10枚ひとつづりで10米ドル(約1100円)だが、交渉次第で値切れる。「JAPANESE GOVERNMENT」「大日本帝国政府」と書かれ、通貨単位は当時の英領ビルマで使われていた「ルピー」。1/2ルピー、1/4ルピーなんて珍しい単位もある。

 日本がミャンマーを占領していたのは70年以上前だ。本当に当時のものなのか? 日本人相手のうまい商売で、新たに印刷しているのではと思いきや、ヤンゴン在住記者は「偽造という話は聞いたことない。中にはそういう例もあるかもしれないが、ほとんどは本物」と断言する。

「日本が東南アジア各地で発行した軍票は『大東亜戦争軍票』と呼ばれ、は号券、に号券、ほ号券、へ号券、と号券の5種類あり、ミャンマーで使われていたのは『へ号券』。1942年のミャンマー侵攻から45年の敗戦まで発行され、軍需物資の清算だけでなく、日本軍関連企業では給料も軍票で支払われた」

 軍票で国の経済が回っていたのだ。ただあまりに大量発行したことでハイパーインフレを招き、日本軍による占領前と比べ物価は100倍以上に跳ね上がり、市民生活を直撃。45年に日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏すると、軍票は全て紙クズとなった。

「地元民の中には、日本軍は一時的に撤退しただけでまた戻ってくると思っていた人も多く、彼らは軍票を捨てるに捨てられなかった」と同記者。お金として使っていたものをそう簡単に捨てられないのは当然で、今でも多くの軍票が現存しているというわけだ。

 これらを現地で大量に買い付け、ネットオークションで売りさばくやからも。相場は10枚セット2000~3000円程度のようだが、保存状態が良いとマニアに1枚3万~10万円で売れることもあるという。(室橋裕和)

☆むろはし・ひろかず 1974年生まれ。週刊文春記者を経てタイ・バンコクに10年居住。現地日本語情報誌でデスクを務め、4年前に東京へ拠点を移したアジア専門ライター。最新著書は「海外暮らし最強ナビ・アジア編」(辰巳出版)。