【本紙が密着!南アW杯で見たマラドーナ監督のお騒がせ伝説(4)】11月25日に急死した世界的スーパースターのディエゴ・マラドーナ氏(享年60)。本紙はアルゼンチン代表監督として臨んだ2010年南アフリカW杯で〝お騒がせ男〟に密着した。当時の奮闘ぶりを振り返る連載第4回では、希代のトラブルメーカーがサッカー界の重鎮たちと繰り広げた壮絶な〝バトル〟に迫った。

 現役時代に数々のトラブルを巻き起こしてきたマラドーナが2008年に代表監督として〝現場復帰〟。見事に南米予選を突破し、本大会を迎えるが、サッカー界のレジェンドたちにかみつくばかりだった。

 特に激しい抗争を展開したのはブラジルの英雄ペレ氏だった。世代こそ違うものの、いつでもサッカー界ナンバーワン選手の座を争う好敵手。そんなペレ氏はマラドーナの指揮官就任が決まると「まったく監督に向いていない。ムリだろう。無謀な挑戦だ」とし「金に困っていたから引き受けたのだろう」と率直なコメントで挑発した。

 これにマラドーナ監督も反撃し、W杯直前の記者会見で「ペレはアフリカでW杯は〝できない〟と言っていた。〝やるべきではない〟とも言ったんだ」と過去の発言を取り上げて、同氏の見立ての不確かさを訴えた。これにペレ氏は「どうしてマラドーナは私のことばかり話すのか。私のことが大好きなんじゃないのか」とコメント。するとマラドーナ監督は「俺が好きなのは女だけだ」と舌戦を繰り広げた。

 また、大会がスタートし、1次リーグ2連勝とした韓国戦後の記者会見で大きく脱線。元フランス代表のミシェル・プラティニ氏がマラドーナ監督の能力を批判したとの報道については「プラティニからは〝私は何も批判的なことを言っていない〟と手紙が届いた。彼の謝罪を受け入れる」としたが、かねて舌戦を繰り広げているペレ氏については「彼は絶対に許さない」とした。

 その一方で、国際サッカー連盟(FIFA)にも牙をむいた。試合前日にスタジアムで練習を公開し、会見を行うことが大会の公式行事となっている中、マラドーナ監督は固辞した。実は、大会中に抜き打ちのドーピング検査があり、選手8人が早朝7時から叩き起こされた。指揮官は「朝食が済むまで待ってほしい」と要請したが、受け入れられなかった。その報復として、練習公開と会見を拒否したのだ。

 ただ、FIFAとの対立を望まないチーム側はマラドーナ監督を説得し、宿舎で会見を行うことで合意し、制裁などを避けたという。

 ペレ氏とは、後に和解したことが各メディアで報じられているが、現役時代さながらの攻撃的な姿勢でサッカー界を沸かせていた。

(続く)