“白い巨人”入りは偶然の産物だった?J1FC東京からスペイン1部レアル・マドリードに加入した日本代表MF久保建英(18)は、かねて下部組織に所属した同1部バルセロナへの復帰が既定路線とされてきた。そんな中、最終的に「永遠のライバル」に移籍することになった裏に、いったい何があったのか。実はイングランドの名門マンチェスター・シティーの動向が伏線になったという。

バルセロナの下部組織で育った久保が、宿敵のRマドリードに“禁断の移籍”を果たしたことは、日本やスペイン国内のみならず世界中から大きな注目を集めた。

 そんな衝撃的なビッグクラブへの移籍実現にはあるキッカケがあったという。久保をよく知るJ1クラブ関係者は「建英は伸び悩んでいた時期があって、海外クラブからの評価も決して高くなかった。それを変えるキッカケになったのが(J1横浜)マリノスへの(レンタル)移籍。環境が変わって意識も変わった」。

 久保の潜在能力は誰もが認めるところだが、FC東京のトップチーム定着が期待された昨季はJ1開幕から途中出場ばかりでJ3のFC東京U―23チームが主戦場となっていた。攻撃のパフォーマンスだけでなく、守備のハードワークも掲げる長谷川健太監督(53)の要求に応えきれなかったことが一因だった。

 そこで久保は出場機会を求め、昨年8月に横浜Mに期限付き移籍。新天地ではアンジェ・ポステコグルー監督(53)の攻撃的サッカーのもと、前線でボールを奪ってすぐに攻撃へ切り替える意識を徹底的にたたき込まれ、ディフェンスの重要性を再認識。ひと皮むけてFC東京に戻り今季の大活躍へとつながった。

 そして、横浜Mで成長を遂げる日々のなかで大きな転機となる出来事があった。「マンチェスター・シティーのスカウトが(横浜Mの)視察に来たときに、建英も高く評価していた。その評価を聞きつけてレアル・マドリードも(久保の調査に)力を入れ始めたようだ」(同関係者)

 横浜MはマンチェスターCやニューヨーク・シティー(米国)などを運営する「シティ・フットボール・グループ」が経営に参画しており、同グループのマンC関係者が定期的に試合や練習の視察に訪れている。久保の名前はすでに欧州クラブの間でも知られていたが、横浜Mで急成長するプレーを目の当たりにして評価が急上昇。欧州で覇権を争うライバルの動きを察知したRマドリードも“ノーマーク”だった久保の調査に本腰を入れ、獲得候補としてリストアップするに至ったというのだ。

 久保は6月29日の壮行セレモニーで「今、自分がここにいるのは、マリノスに半年間レンタルできたことが非常に大きいと思っている」と語ったが、まさに横浜Mでの日々が自身のサッカー人生を大きく左右することになったようだ。