【多事蹴論(44)】日本代表の宿舎で何が起きていたのか――。日本代表イレブンは合宿や遠征中、基本的に1人部屋で過ごしている。これはA代表だけの特権。これまで指揮官の意向で変更されたことはあったものの、日本サッカー協会は選手たちが試合で好パフォーマンスを発揮できるよう、合宿中に少しでもストレスのない時間を過ごしてもらうための環境を整えている。

 ただ、1998年フランスW杯に初出場する以前の日本代表は2人1部屋が当たり前だった。DF都並敏史は19歳だった80年に日本代表に初招集された際、同部屋となったのは後に代表監督として2度のW杯(98年フランス、2010年南アフリカ)を戦ったDF岡田武史だった。「初めての代表だから緊張していて、部屋に向かったら先に入っていた。すぐにあいさつしようとしたんだけど、岡田さんの第一声は“お前、ビール買ってこい”って。時間的には夕食前だったんだけど…日本代表って、こんな感じなのかって。いろんな意味で衝撃だったよ」と語っていた。

 19歳だった87年に初めて日の丸を背負ったFW武田修宏は日本のエースだったFW原博実と相部屋になった。「さすがに貫禄があったよね。でも面倒見も良くて優しくしてもらったかな。これまでの経験談とかいろんな話をしてもらった。印象的だったのは、ベッドの脇に奥さんとお子さんの写真を飾っていたこと。遠征先にまで持ち歩くなんて原さんは家族思いなんだなって思ったよ」

 MF前園真聖はアトランタ五輪を目指していた世代別代表チームで後に日本の大黒柱となるMF中田英寿と“ルームシェア”した。「ヒデは細かかったんですよ。僕が脱ぎ散らかした洋服をキチンとクローゼットにかけてくれ、ズボンもたたんでしまってくれた。部屋を散らかすと“すぐに片づけて”って。まるで母親みたいに口うるさかった。でもヒデのおかげで部屋はきれいだったし、楽しく過ごせたかな」と目を細めて振り返った。

 意外にも宿舎ではほのぼのと過ごしている感じもあるが、中には困ったケースもあるという。カズことFW三浦知良は同部屋選手のいびきに悩まされることが多々あったそうだ。「特にタケ(武田修宏)のいびきはすごかったよ。さすがに寝付けないから部屋をかえてもらったこともある」とし、ある選手は「たばこを吸う選手がいた。さすがに部屋以外のところでって注意したけど」。もっとも多いのは「就寝時にスモールランプを消すかどうか」だった。

 試合に向けてコンディションを整えるのは選手にとって重要な使命。それだけに部屋での過ごし方も大事なわけだが、かつての日本代表ではイレブンがチーム合流時、最初に確認することが「相部屋は誰なの?」だったそうだ。(敬称略)