【多事蹴論(27)】日本代表チームカラー「青」のルーツはイングランドにあった――。「サムライブルー」のニックネームでも知られるように日本代表が大躍進した1990年代以降、チームカラーとして定着した。他競技では国旗(日の丸)に合わせ、白と赤の組み合わせが多いがサッカーはいつ、どうしてブルーになったか。

 日本代表のユニホームは第2次世界大戦前から青を採用。その後も青が引き継がれたが、64年東京五輪はファーストユニホームは上下ともに白(セカンドは青)、銅メダルを獲得したメキシコ五輪ではユニホームが白でパンツは紺色だった。横山謙三監督がチームを指揮した88年から赤を採用。ただ国際サッカー連盟(FIFA)幹部に中国や韓国に間違われたため、当時日本サッカー協会の強化委員長(現技術委員長)だった川淵三郎氏が原点回帰。青をメインカラーに採用し、現在まで続いている。

 日本サッカー協会の公式ホームページではチームカラーが青になったことについて「“日本の国土を象徴する海と空の青”と一般的に考えられていますが、実際は後になってつけられた理由で、なぜ青なのかということは文献が残っておらず不明です。日本のユニホームは、戦前に水色を採用しており、戦後もそれが引き継がれていました」と解説している。

 日本代表は30年の極東選手権(日本開催)に臨んだとき、すでに青色(水色)のユニホームを着ていた。当時の代表は東京帝国大学(現東京大学)のメンバーが中心。その東大のチームカラーが青(淡青=水色)だったことから、青色のウエアに身を包んだという説が最有力とされている。その後の日本代表は強豪スウェーデンを撃破し「ベルリンの奇跡」と呼ばれた36年のベルリン五輪も青のユニホームで臨んでいる。では、なぜ東大が青をチームカラーとしていたのか。東大のホームページなどによると、20年9月に滋賀県の瀬田川で京都帝国大(京都大学)と第1回対校ボートレースが行われた際、抽選でボートの色を決め、東大が淡青(水色)のボート、京大が濃青(紺色)のボートとなった。このときに決まった色がその後も両校に受け継がれ、現在のスクールカラーの起源になったという。

 さらに、ボートの色が水色と紺色の2色だったのは、英国の名門ケンブリッジ大学とオックスフォード大学のスクールカラーだったからだ。英国では中世からブルーが知的階級者に好まれていたため、インテリをイメージさせる色とされ、ケンブリッジ大は水色、オックスフォード大も紺色をスクールカラーとし、ボート対校戦では水色と紺色の艇を使用。東大、京大も、それに倣ったと見られ「ケンブリッジブルー」は東大を経て、現在の日本代表カラーになったとみられている。