【ルックバック あの出来事を再検証(5)】1996年3月24日、アトランタ五輪アジア最終予選(マレーシア・クアラルンプール)準決勝に臨んだU―23日本代表は同サウジアラビア代表に2―1で競り勝ち、五輪出場権を獲得した。68年メキシコ五輪以来となる28年ぶりの本大会出場を果たした裏に何があったのか。連載「ルックバック」第5回、サウジ戦で2ゴールを決めたキャプテンの前園真聖氏(47)が追い詰められていた当時の心境と、盟友の元日本代表MF中田英寿氏(44)との本当の関係について語った。 

 アトランタ五輪出場を狙う日本はアジア1次予選を順当に突破し、マレーシアで行われたアジア最終予選に臨んだ。FW城彰二、MF中田英寿、GK川口能活らスター選手たちをまとめたのが、主将の前園だった。

 前園氏 Jリーグもスタートしていて全員がプロ選手。そこが期待されていたところでしたし「28年ぶりの五輪出場」と言われ、かなり重圧は感じていました。しかも当時はホーム&アウェーではなく、一発勝負。失敗は許されないという緊張感もありました。でも「時代を切り開く」という使命にチームのモチベーションは高かったです。

 前園は最終予選中、後に日本代表エースとなる中田と初めて同室になった。強気で攻撃的なプレースタイルはチームにとって頼もしい存在だったが、最年少の19歳。そこで主将の前園がサポート役に指名された。

 前園氏 ヒデはあのまんま変わったやつです。初めからタメ口で「ゾノ」って呼び捨てでしたしね(笑い)。でも嫌な気はしなかったですし、あの予選で仲良くなりました。困ったのはきちょうめんなこと。細かいんです。服の畳み方やカバンの置き場所にまで注文を付けてくる。まあ脱ぎ散らかした服をハンガーにかけてくれたりもしましたが…。あと「なんで」「どうして」の質問攻めには戸惑いました。まあ、弟みたいな感じでした。

 中田とも打ち解けて迎えた最終予選は8か国が参加。2組に分かれて1次リーグを戦い、上位2か国が準決勝で五輪出場の3枠を争う。日本は2勝1分けで勝ち上がり「アジア最強」のサウジアラビアと対戦した。

 前園氏 勝てば五輪に行けるという試合でしたが、映像を見て「強いな」という印象しかなかったです。3位決定戦はありましたが、ここで負けたら「日本に帰れない」と思っていました。試合前は西野(朗監督、ロシアW杯代表監督)さんや山本(昌邦コーチ、アテネ五輪代表監督)さんにも「こうしようよ」とか普通に話していましたし、それと水分補給の仕方などドーハ(の悲劇=1993年W杯アジア最終予選で日本が敗退)の経験を生かした対策をして臨みました。

 試合は前半4分に前園が先制弾を決め、後半12分にはMF伊東輝悦からパスを受けた前園が持ち込み追加点。1失点後、サウジアラビアの猛攻を受けながらもリードを守り切り、28年ぶりの五輪切符を手にした。

 前園氏 なぜか絶好調でした。緊張感が集中力を高めたのかもしれません。でも後半は攻め込まれて…。(後半32分の)CKを蹴る前に派手に転んだんです。みんなから「あそこで転ぶか」とか言われたけど、これも計算でした。少しでも時間を稼ごうと思って必死でした。追い付かれたら勝ち越すのは難しいと思っていたし「早く終わってくれ」としか考えていなかったし(GK川口)能活が頑張ってくれました。

 試合後、前園は日の丸を巻いてスタジアムをウイニングラン。メキシコ五輪以来「28年ぶり」というプレッシャーを乗り越えた。93年に発足したJリーグの成果も問われる中、つかんだ五輪切符に全身が震えたという。

 前園氏 ホッとして力が抜けました。ずっと言われてきた「日本サッカー界の新たな扉を開く」という使命を果たせたので。ロッカーでみんなが泣いているのを見て、我慢していた涙があふれてきたのは覚えています。勝ったことはうれしいのですが、この緊張感から解放されるんだなって。簡単じゃなかったですから。でも日本に戻ってからの方が大変でした。大フィーバーだったんで。

 1968年以来となる五輪出場に日本中が大熱狂。帰国した空港には何十台ものテレビカメラと多くのファンが殺到。サウジアラビア戦の2ゴールで“時の人”となった前園は驚きと戸惑いの日々だった。

 前園氏 見たこともないテレビカメラの多さとファンの方々…。出発のときと違い過ぎてびっくりしました。こんなに日本は盛り上がっていたのかと。そこからは試練でした。コンビニで何を購入したのかもチェックされましたから。知らない店の常連にされ「前園は調子に乗って遊び歩いている」と書かれ、完全に引きこもりになりました。五輪出場はうれしかったけど、正直、試合よりも、その後の方がつらかったですね。

【東京五輪はメダル狙える】1996年アトランタ五輪以降、7大会連続出場となる東京五輪では68年メキシコ五輪銅メダル以来の表彰台が期待されている。

 MF久保建英(19=ヘタフェ)をはじめMF堂安律(22=ビーレフェルト)、DF冨安健洋(22=ボローニャ)ら多数の海外クラブ所属選手がいることから「史上最強」とも言われている。前園氏は「欧州でプレーしている選手は厳しい環境で日々成長し、経験値もたくましさも高まっているので期待しかない。もちろん、国内組も三笘(薫=23、川崎)らがいますから」と戦力面の充実をアピールする。その上で「今回は自国開催なので全試合がホームになるというメリットがありますしね。あとはオーバーエージ(25歳以上)をどこに加えていくのか。十分にメダルを狙えるでしょう」と話していた。

 ☆まえぞの・まさきよ 1973年10月29日生まれ。鹿児島・東郷町出身。鹿児島実業高では1年生から3年連続で全国高校選手権に出場した。92年に横浜Fに入団し、アルゼンチン留学を経て93年6月にデビュー。94年に日本代表に初選出(19試合4得点)。96年に主将としてアトランタ五輪に出場した。2005年に引退。その後、ビーチサッカー日本代表選手として現役復帰するも現在は解説者として活躍。170センチ、68キロ。