【惨敗ザックジャパン 崩壊の裏側(4)】

 ブラジルW杯では、日本代表アルベルト・ザッケローニ監督(61)の不可解な采配が目立った。これまで右サイドに固定していたFW岡崎慎司(28=マインツ)を左サイドで起用したり、練習していないパワープレーを試合終盤でいきなり導入したり…。場当たり的な指示にイレブンは大混乱に陥った。指揮官を支えてきた技術委員長を兼務する日本サッカー協会の原博実専務理事(55)も戸惑いを隠せなかったほどだ。

 では、なぜ大舞台で迷走を繰り返したのか。その原因の一つに挙げられるのが、日本協会トップと代表監督の面談の中止だ。2002年日韓W杯以降、不定期ながら協会会長は代表指揮官と会談し、采配や戦略について聞き取りを行ってきた。

 川淵三郎・日本協会最高顧問(77)が会長時代に取り入れた。その狙いは「『あの選手を選んだのはなぜ』『どういう考えで選手を交代したのか』など素朴な疑問を聞く。ああしろ、こうしろとは言わないけど、改めて聞くことで監督も、自分を見つめ直せるし、いつも見られていると思えば、重圧もかかり緊張感も出る」(川淵氏)

 だが、12年に大仁邦弥会長(69)が就任すると「そういうのは原に任せている」とし、ザック監督の采配について直接問いただす場面がなくなった。チームへの疑問点についても原委員長から報告を受けるだけだった。

 ザック監督を連れてきた原委員長が事情を聴いても、プレッシャーにはならない。上からの“圧力”がなかったため、自身の采配や戦略を見つめ直す機会が減ってしまった。

 協会関係者は「甘やかし過ぎ。負けてもかばうだけで、時には『しっかりやってくれ』くらいのことを言わないと。大金を払っているのになめられるだけ。クラブならあり得ない」と語気を強める。結果として、協会側は代表監督を管理することができず、W杯本番の大事な場面での“迷采配”につながっていった。(続く)