佐々木則夫氏が明かしたW杯なでしこ優勝秘話 いつも笑顔の川澄にキレられた

2020年06月17日 11時00分

帰国会見で金メダルを披露する川澄

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(8)=11年独W杯なでしこ優勝秘話(後編)】2011年ドイツ女子W杯で奇跡の優勝を成し遂げたなでしこジャパンで、きら星のごとく現れて話題をさらった美女ストライカーがいた。創刊60周年を迎えた本紙連載「フラッシュバック」では、当時の監督だった佐々木則夫氏(62)が「真実」を語った前編の丸山桂里奈に続き、MF川澄奈穂美を後編でクローズアップ。優勝の立役者となったシンデレラガールの誕生まで、舞台裏では何が起こっていたのか。そこで勃発していた一触即発の出来事に迫った。 

 ピンクのヘアバンドをつけ、軽やかなステップと抜群の瞬発力で世界の実力者たちを抜き去っていく川澄のプレーは、世界に衝撃を与えた。誰が呼んだか、ニックネームは「なでしこジャパンのおしゃれ番長」。キュートな笑顔とは裏腹に、強気なプレー。そのギャップに、ファンはくぎ付けとなった。

 2008年からINAC神戸に所属し、10年にベストイレブンを受賞。W杯前の国内リーグでは得点ランキングのトップを走っていたように、確かな実力の持ち主だった。しかし、W杯では控え組。1次リーグでは2試合で途中出場したものの、プレー時間はわずか29分間にとどまっていた。

 そんな中で同じサブメンバーだった丸山が準々決勝のドイツ戦で劇的ゴールを決め、たった一夜でヒロインとなった。チームが歓喜に沸く一方で、ただならぬフラストレーションを抱えていた川澄の“オーラ”を佐々木監督は感じ取っていた。

 佐々木 川澄は日本代表の中でも群を抜いて素晴らしくスタミナのある選手。ドイツ戦も出てなかったし、もう出たくて出たくて仕方がなくてメラメラしているのが伝わってきた。もともと川澄のコンディションもよかったので、いつかどこかのタイミングで(使おう)と思っていた。

 ドイツ戦から4日後、7月13日に行われたスウェーデンとの準決勝。指揮官は不調のFW永里優季に代えて川澄を先発のピッチに送り込んだ。今大会初スタメンで、本来なら緊張してもおかしくない場面だが、背番号9の度胸は据わっていた。

 前半10分、試合はいきなり動いた。中盤でMF澤穂希がDF岩清水梓へ送った緩い縦パスを相手にカットされ、豪快なミドルシュートを浴びて先制点を許した。出鼻をくじかれる失点で、浮足立ってもおかしくない場面。それでも選手たちは誰一人慌てる様子を見せなかった。

 佐々木(ドイツに準々決勝で勝って)流れが来ていたからみんな怖さを知らなかった。だから先制されても全然動揺しなかった。あんなに堂々とプレーしているのを今まで見たことなかった。

 それを象徴していたのが川澄だった。失点からわずか9分後、MF宮間あやが左サイドからクロスを上げると、走り込んだ川澄がペナルティーエリア右で相手DFに倒されながらも右足で懸命に押し込み、すぐさま同点に追いついた。

 これだけでも佐々木監督の用兵が「当たった」と言えるものだったが、シンデレラの活躍はそれだけで終わらなかった。後半15分に澤のヘディング弾で勝ち越すと、その4分後、相手GKの中途半端なクリアボールを川澄が拾い、ワントラップしてそのままループシュート。ゴールまで35メートルの地点から放たれたボールは鮮やかな弧を描いて無人のゴールに吸い込まれた。日本はこのまま3―1で快勝。W杯と五輪を含めて初となる決勝進出を果たした。

 どんな状況でも苦しさを見せず「楽しかった」と笑う川澄の強心臓ぶりは、関係者の間ではよく知られた話だった。どんな場面でもぶれない意志の持ち主。佐々木監督はW杯中に起こったあるエピソードを明かしてくれた。

 佐々木 大会中、試合に出た選手のケアはフィジカルコーチやトレーナーに任せていたから、どちらかというと僕は控えの選手を見ていることのほうが多かった。ある時、控え選手に対して「丁寧にウオーミングアップしなくていいから、各自でしっかりやって、ゲームトレーニングになるようにやれ」って言っていたんだけど、そうしたら川澄がキレちゃって…。

 控えの選手たちは、試合の途中から自分のリズムでウオーミングアップをして、試合に入った瞬間からハイパフォーマンスを出すことが求められる。それを含めた上での指示だったとはいえ、川澄は納得がいかなかったという。

 佐々木「何で控えの私たちにはそんなに丁寧じゃないんですか!」ってかみつかれたのは覚えている。それは丁寧に説明しなかった俺のせいかもしれないけど、説明したら「あーそういう意図があったんですね」と。納得いってなさそうだったけど(笑い)。でも、それを根に持ってやるんじゃなくて、ちゃんとそこで思った意見を言うことがすごくやりやすい感じだった。そういうのを嫌う人もいるかもしれないけど、俺はいいと思ったよ。

 先輩後輩関係なく、自分の意見を口に出せるのが川澄の強み。自分をしっかり持っているからこそ、初スタメンでも自分の役割を存分に発揮することができたわけだ。

 欧州の強豪ドイツ、スウェーデンを立て続けに破り、迎えた7月17日。米国との一戦は、両チームともに頂上決戦の名にふさわしいハイレベルな攻防を繰り広げた。その中でも、川澄は自分の意見を指揮官にしっかりと伝えていた。

 佐々木 決勝では(後半21分から出場の)丸山がトップで川澄が右サイドだったんだけど、途中で(ポジションを)変えた。そうしたら、いきなり左サイドから簡単にクロスを入れられて(延長前半14分に)FW(アビー)ワンバックにゴールを決められてしまったんだよ。ピッチ内での給水時間のときに“あー、やっぱり失敗だったな。また戻そうかな”と思っていたら、川澄が寄ってきて「私、右サイドの方が攻守にわたって動けます」って言ってきたから、また変えたんだよね。

 再び攻撃の形を変更した日本は、延長後半12分に澤の劇的同点ゴールが生まれ、PK戦で勝利。表彰式で澤がトロフィーを天に掲げ、無数の金色の紙吹雪が舞う中、川澄は無邪気にはしゃいだ。

 佐々木 あの時のチームは本当に何かを持っていた。(先発)メンバーも大会前は固定
された感じもあったけど、丸山や川澄がそれをいい意味で壊した。改めて、優勝は先発の11人だけでは成し遂げられないと知ったし、ああいう“ラッキーガール”みたいな存在が出てくるチームは強いとも思った。

 震災で暗いムードが漂う日本に感動をもたらし、女子サッカーブームの火付け役となったなでしこジャパン。佐々木氏の信念と選手たちの頑張りで勝ち取った優勝は、永遠に語り継がれる。

 ☆ささき・のりお 1958年5月24日生まれ。山形・尾花沢市出身。東京・帝京高3年時にインターハイ優勝。明治大、NTT関東サッカー部でプレーし、33歳で現役引退。2006年になでしこジャパンのコーチとなり、07年12月に監督に就任。08年北京五輪では4位となり、11年ドイツ女子W杯で初優勝。国際サッカー連盟(FIFA)女子世界年間最優秀監督賞も受賞した。12年ロンドン五輪で銀メダル、15年カナダ女子W杯も準優勝に導いた。19年に日本サッカー殿堂入り。日本女子サッカーの新リーグ設立準備室長となり、3日に「WEリーグ」の発足を発表した。家族は順子夫人と長女。

 ☆かわすみ・なほみ 1985年9月23日生まれ。神奈川・大和市出身。日体大を経て2008年になでしこリーグのINAC神戸に入団。クラブ初のリーグ優勝となった11年に得点王とMVPをダブル受賞した。米国女子プロリーグのレインで通算4季(14、16~18年)プレーし、19年からニュージャージー州ピスカタウェイを本拠地とするスカイ・ブルーに在籍。なでしこジャパンでは11年ドイツ女子W杯優勝、12年ロンドン五輪銀メダル、15年カナダ女子W杯準優勝など主力として活躍した。157センチ。