佐々木則夫氏が明かしたW杯なでしこ優勝秘話 こうして生まれた丸山桂里奈「奇跡の決勝弾」

2020年06月16日 11時00分

丸山桂里奈

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(8)=11年独W杯なでしこ優勝秘話(前編)】2011年ドイツ女子W杯で世界一に輝き、東日本大震災の傷も癒えない日本に大きな希望を届けたなでしこジャパンの活躍は今も記憶に新しい。粘り強い戦いは語り草だが、創刊60周年を迎えた本紙連載「フラッシュバック」では、その雄姿を振り返る。前編では奇跡の序章となった開催国ドイツとの準々決勝に注目。主役となったのは当時、サブだったFW丸山桂里奈だ。今やバラエティー番組で常連の人気者はなぜ活躍できたのか。監督を務めた佐々木則夫氏(62)が本紙に「丸山桂里奈の真実」を明かしてくれた。 

 今やバラエティー番組に欠かせない存在の丸山が世間に名を知らしめたのは、東日本大震災発生から4か月がたとうとしていた2011年7月9日。準々決勝まで勝ち進んだなでしこジャパンの前に立ちふさがったのはホスト国のドイツ。

 下馬評は圧倒的不利だったが、丸山の奇跡的なゴールで世界を驚かせた。

 当時なでしこジャパンは、今やレジェンドとなった主将のMF澤穂希、抜群のテクニックを誇るMF宮間あや、点取り屋のFW大野忍らタレントの宝庫。お世辞にも丸山が主役の座に躍り出るとは、ほとんどの人が想像できなかった。ただ一人、佐々木監督を除いては…。

 佐々木 まずドイツ戦を語る前に、その前の1次リーグ最終戦のイングランド戦に触れないといけない。そこまで2連勝して、3連勝なら1位通過。準々決勝で得意としていたフランスと戦えるはずだった。でも、試合は0―2で完敗。苦手にしているドイツとの対戦が決まった。今まで勝ったことない(W杯前まで1分け7敗)し、しかも開催国ということで、選手たちがすごく動揺しちゃった。

 イングランド戦では、今までできていた細かい連係プレーなどで多くのミスが出てしまい、選手たちからも不満の声が漏れていた。そこで選手間ミーティングを開き、お互いが本音をぶつけ合いながら、全員の心を一つにしていった。

 佐々木 それに(東日本大震災で)日本はすごく大変な状況にもかかわらず、サッカーができるというような状況の中で、一つ大きな壁を破るにはどうするべきか。日本だって大きな壁にぶつかっても頑張っているから、自分たちもって切り替えられたことで、ドイツの壁を打ち破らないといけないという心が我々にはできたと思う。


 敗戦を機に、選手たちが一致団結して迎えたドイツ戦。完全アウェーの中での戦いだったが、佐々木監督はあくまで冷静だった。

 佐々木 実は試合前の宿舎はドイツと同じだったんだけど、そこに(アンゲラ)メルケル首相が激励に来たんだ。向こうはそれだけ勝たないといけないというプレッシャーがあった。我々は結果よりもいい試合を日本に届けるんだっていう気持ちだから、失うものは何もない。でも、ドイツは負けると失うものがたくさんある。決して勝つ自信なんてなかったけど、とにかく食い下がって食い下がろうってね。

 佐々木監督の激励に選手たちはきっちり応えた。序盤からドイツは自慢のフィジカルと高さで猛攻を仕掛けたが、懸命の守りでしのぎ、スコアレスのまま延長戦へ突入。PK戦もチラついてきた延長後半3分、FW永里優季に代わってピッチに入っていた丸山が大仕事をやってのけた。中盤でボールを持った澤が相手守備ラインの背後にパスを出すと、それに反応した丸山が右足を振り抜いて決勝ゴール。最後は再びドイツの猛攻に遭いながらも、虎の子の1点を守り切った日本がベスト4の座をつかみ取った。

 佐々木 試合の途中であっても自分たちが本当にやれている感覚がだんだんと自信にもなっていった。最後の最後まで結果を恐れずにやれるかっていうところが勝利につながったと思う。

 なでしこジャパンはドイツのW杯3連覇の夢を打ち砕き、世界を驚かせた。しかし、なぜヒロインは丸山だったのか。なぜ、丸山はそこにいたのか。

 佐々木 実は丸山を直前まで(W杯のメンバーに)入れるつもりはなかった。スピードはまあまああるけど、持久力がちょっと足りないから。途中から出ても、連続した動きとか、スタートからハイペースでいけるようなベースはある程度持っていないといいプレーはできない。彼女には課題を与えていたけど、なかなかできなかった。

 ところが、当時丸山が所属していた千葉の練習場が東日本大震災で被災。グラウンドが使えない期間、ひたすら走るトレーニングを繰り返した。それが奏功し、課題であった持久力の強化に成功した。さらに、09年まで5年間在籍した東京電力で、配属先だった福島第1原子力発電所が津波によって壊滅状態に。福島のために戦うという思いが丸山を大きく飛躍させた。

 佐々木 W杯前、浦和―千葉戦を見に行ったら丸山がすごくよかった。スタメンで出て90分間、かなりボールに触り、連続して動けていた。こういう経験のときに課題を克服したので、急きょ米国遠征のメンバーに登録して連れて行ったら、いい仕事をしたんだよね。そういう意味でも、這い上がってきて、いろんな目に見えない力があったからあのゴールにつながったと思う。

 ただ、レギュラーではなかった丸山の1次リーグ出場は2試合。いずれも後半途中からだった。にもかかわらず、ドイツ戦ではいきなり後半開始からピッチに送り出された。この大胆采配は決して佐々木監督の勘ではなく、しっかりした根拠があった。

 佐々木 僕が大橋浩司監督時代(04~07年)にコーチをやっていたときに、ドイツ遠征に行ったんだけど、途中から丸山が出て、1ゴール1アシストしたことがあった。裏に抜けて、ボールを受けてチャンスをつくってアシストを決めて、点も取った。そのシーンが脳裏にあったので、丸山にそういうプレーが出てこないかなってことをイメージしていた。

 澤からのパスに反応し、右サイド裏に抜け出した丸山は角度のない難しい位置からのシュート。見事にGKのニアを抜いてネットを揺らしたが、このゴールシーンも実は計算し尽くされていた。

 佐々木 あの角度のないところのシュートは、練習ゲームでも結構入れていた。確かにドイツのGKも左足が予測に入り過ぎた部分もあったけど、あの角度は決してフロックな部分ではなかった。

 丸山の得意なプレーは、他のイレブンもしっかり理解していた。澤のパスも丸山の得意なゾーンを知っていたからこそ。つまり、あの決勝点の真実は「どうして丸山だったのか」ではなく“丸山でなければ生まれなかった”。偶然に見えるような必然の流れ。すべては佐々木監督と選手たちの絆が生んだ物語だった。

 ☆まるやま・かりな 1983年3月26日生まれ。東京都出身。日体大在学中の2002年に日本代表入り。03年米国女子W杯、04年アテネ五輪、08年北京五輪に出場。11年ドイツ女子W杯ではスーパーサブとして日本の初優勝に貢献した。同年8月には団体初となる国民栄誉賞を受賞。12年ロンドン五輪にも出場し、銀メダルを獲得した。16年9月に現役引退し、タレントに転身。162センチ、血液型=O。

 ☆ささき・のりお 1958年5月24日生まれ。山形・尾花沢市出身。東京・帝京高3年時にインターハイ優勝。明治大、NTT関東サッカー部でプレーし、33歳で現役引退。2006年になでしこジャパンのコーチとなり、07年12月に監督に就任。08年北京五輪では4位となり、11年ドイツ女子W杯で初優勝。国際サッカー連盟(FIFA)女子世界年間最優秀監督賞も受賞した。12年ロンドン五輪で銀メダル、15年カナダ女子W杯も準優勝に導いた。19年に日本サッカー殿堂入り。日本女子サッカーの新リーグ設立準備室長となり、3日に「WEリーグ」の発足を発表した。家族は順子夫人と長女。