2014年ブラジルW杯惨敗で心境に変化 本田が目指した「ONE」

2020年04月20日 16時40分

本田(右)はブラジルW杯後に変わった?

【西川結城のアドバンテージ(15)】新型コロナウイルスは、当然、我々記者業にも実働的な影響を与えている。そんな中、このタイミングで過去の取材や記事を見直すことにした。まず真っ先に頭に浮かんだ選手がいる。本田圭佑。J1名古屋時代からオランダ、ロシア、イタリア、メキシコ、さらに合宿先のスペインや日本代表遠征で訪れたブラジル、ビジネス誌取材で向かった米国と、彼を追いかけ世界中を駆け回ったのが懐かしい。

 異論はあるかもしれないが、個人的に本田は2014年のブラジルW杯を境に変わったと思っている。人間的な本質は変化していない。それは今も昔も見られるあの発言力や行動力が示している。一方、選手としてのスタンスはつぶさに見つめると違いがわかる。

 惨敗を喫したブラジルW杯までは、血眼になって優勝を目指し、自身も世界一のプレーヤーに上り詰めるキャリアを描いた。今の本田はサッカーだけではなくビジネス面を含め、人生経験も知見も広がり、理論と感情のバランスが取れている。

 ただ、当時はまだまだ感情優先だった気がする。現実を達観した上でそれでも理想を持つことの大切さを説く人間と、ただひたすらなりたい自分にフォーカスしていく理想論者は違う。あのころの本田は後者だった。そして現実即な一面を見せ始めたのが、負けを突きつけられた悔恨のブラジルW杯後だった。

 当時のギラギラとした様子が伝わる記事を久々に見つけた。ACミラン(イタリア)に移籍が決まった際に書いたもので、その直前にロシアで直撃取材した時のコメントが書かれている。意気揚々とビッグクラブに乗り込む空気に、6年の時を超えて触れられた。

「本当の意味で自分に自信がなければ、世界のトップに挑戦する必要すらない。必ずライバルになる選手がいる。どんな選手であろうとライバルを超えていく。そうでないと自分が言っている目標の実現にはつながらない。そもそもこういう感覚や感情を持てていないと、ビッグクラブに行くなんて公言はしない。目指すは、オンリーワン」

 先日、本田を中心に新たに設立されたサッカークラブの名は「ONE TOKYO」。合議制で何事も決められるクラブ運営を象徴するように、みんなで一つになることを表す「ONE」。かつては唯一無二の「ONE」を言い放っていただけに、異なる意味合いが印象的だ。

 どちらが良い悪いという問題ではない。身にしみるのは時の移ろい。そして人の「若さ」の魅力をかみしめている。

 ☆にしかわ・ゆうき 1981年生まれ。明治大卒。専門紙「EL GOLAZO」で名古屋を中心に本田圭佑らを取材。雑誌「Number」(文藝春秋)などに寄稿し、主な著書に「日本サッカー 頂点への道」(さくら舎)がある。