壮行セレモニーでも魅せた! 久保建英の流儀

2019年07月04日 10時00分

久保は壮行セレモニーでも新クラブ名を封印した

【西川結城のアドバンテージ】10代の日本人が、スペイン1部レアル・マドリードに移籍する時代である。18歳の久保建英はプレーだけでなく人間的にも大人びていて、冷静でしたたかだ。

 6月29日、FC東京対横浜M戦後に壮行セレモニーが開かれた。そこでも久保らしさは満載だった。選手として「弱冠〇歳」と書かれることを彼は嫌がった。「ピッチに立てば、年齢は関係ない」。それがお決まりの姿勢だった。一方、年功序列を大切にする日本の世間における、10代の自分の見られ方も重々理解していた。だからこそ、必要以上にビッグマウスになることなく、基本は謙虚で殊勝な言葉を並べることが多かった。

 そんな発言の中で、時折見せる少々強気で、確固たる自信に満ちたコメントや表情こそが、面白い。セレモニーでも大半は感謝と敬意にあふれた言動だったが、ひと言付け加えることも忘れていなかった。「つらいこともありましたけど、自分の力もあり、みんなの力も借りてこうして一人前のサッカー選手として東京を背負って羽ばたいていけることを非常に誇らしく思います」

 見逃せないのは、きっちり「自分の力」というフレーズを口にしているところ。きっとプロの弁士が聞いても、久保の言葉は配慮と主張のあんばいが絶妙だとヒザを打つかもしれない。

 周りをおもんぱかりながら、自分を前面に打ち出すことも忘れない。それは計算ではなく、おそらく自然と表現できているのだろうが、賢い人間なら自分と他人のバランス感覚を常に考えながら生きている。押し過ぎもしない、引き過ぎもしない。久保の言動からは、常にそんな印象を受けてきた。

 また今回のセレモニーだけでなく、移籍が決まって以降、一度も本人の口で「レアル」の3文字を語っていない。これもまた久保のこだわり。バルセロナで育った過去を持つが、必要以上にブランドで自分を見られることも嫌がっただけに、これまで自ら「バルセロナ」と発言することはほぼなかった。

 日本代表活動中も、レアルに関する記者の質問には答えなかった。初めてその3文字を口にするのは、マドリードで行われる会見のときか。トップチームはジダンが、久保が最初にプレーするセカンドチームはラウルが指揮を執る。レジェンドに迎え入れられるそのときまで、「レアル」は取っておく。ブランディングも、抜かりない。

 ☆にしかわ・ゆうき 1981年生まれ。明治大卒。専門紙「EL GOLAZO」で名古屋を中心に本田圭佑らを取材。雑誌「Number」(文藝春秋)などに寄稿し、主な著書に「日本サッカー 頂点への道」(さくら舎)がある。