野々村芳和チェアマンが見据える日本サッカー界の未来「世界と同じレギュレーションが王道」

2022年07月07日 06時15分

野々村芳和チェアマン
野々村芳和チェアマン

 Jリーグの野々村芳和チェアマン(50)が本紙インタビューで〝本音〟を激白した。1993年5月15日にプロサッカーのJリーグが開幕し30年目を迎えた中、3月に就任したばかりの新チェアマンはいかに改革し発展させていくのか。初めてJリーガーとしてプレーした経歴を持つ異色の〝アイデアマン〟がJ1札幌の社長時代を振り返りつつ、見据える日本サッカー界の未来とは――。

 ――各競技場を訪問し、全職員と面接を行う中、まず何に取り組むか

 野々村チェアマン(以下、野々村)やらなければいけないことはたくさんある。もともと役員候補者選考委員会が(Jリーグを)変えるためにチェアマンを選んでいるので今まで通り…というオーダーではない。変えるに当たっていろいろと整理しているところ。リーグの中の空気感やクラブとの関係、日本サッカー協会との関係とか。周辺の再生、空気感をつくってからじゃないと、何かを変えるのも簡単ではないので。
 ――Jリーグ百年構想であるように100クラブを目指すか

 野々村 いま58あるけど、クラブ数は気にしていない。運営する社長やGMに素晴らしい人材が揃うならたくさんあってもいい。日本サッカーはまだ歴史も浅いし、これから伸びる。最初の15年で選手がプロになり、次の15年で指導者がプロになった。次の15年ではマネジメントの人がプロになれば、100クラブでもやれる。

 ――かつての2ステージ制やプレーオフのような順位決定戦など、リーグ方式の変更は

 野々村 私の中ではない。考えていない。国内だけでエンターテインメントとしてうまく見せようとするなら、取り組んでもいいけど、世界とどう戦っていくかを考えたときに世界と同じレギュレーションや感覚でやっていくのが王道じゃないかって。何事も原則があって、私の1番はフットボールだから、そこが最優先でやっていく。

 ――若く有望な選手の多くが海外移籍する現状をどう感じるか

 野々村 選手たちが海外に出ていくのは当然だとしても、ビジネスの面でもう少しどうにかしないと。移籍金が安い? そこを適正な値段にするにはどうするか。Jリーグが世界でそれなりのポジションになっていかないと。しっかり考えていかないといけない。

 ――ところで札幌社長時代は、海外ビッグネームの獲得に積極的だった。ロナウジーニョやカカ、デルピエロ、本田圭佑の獲得にも動いた

 野々村 うーん、どうだったかな…。札幌時代、いわゆる海外ビッグネームの調査はいつもしていたし、当時の札幌だからできたことはいっぱいあったから。いろいろな選手に興味は持っていて調べていただけ。いつも状況は確認していた。

 ――確認するのは獲得を構想したからだと思うが、サポーターを喜ばせたかったのか

 野々村 それもあるけど、一番はクラブが成長していくためかな。どういう選手と一緒に仕事をするのがいいのかをよく考えていたから。名前は言えないけど、取りにいきましたよ。超大物選手。海外まで会いに行って一緒に食事もし、本人はJリーグに対して好感触だったけど、家族の事情で断念した。

 ――新型コロナウイルス禍もあって元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタがJ1神戸に加入して以降、ビッグネームの参戦がない

 野々村 うーん。これも、クラブがどう成長していくか。クラブがどう考えるかが一番のポイント。1、2年くらいでリオネル・メッシやクリスチアーノ・ロナウド獲得の好機? 札幌社長だったら取ろうと考えたかも。でもチームを勝たせなきゃいけないし、競争しないといけない。その中で有名な選手を入れた方が競争に勝てる、クラブの成長につながると考えるクラブが出てくるか。

 ――なかなか難しいということか

 野々村 サッカーのレベルを上げるため、クラブが必要と判断すれば、いろいろなことが起きるかもしれない。クラブの社長だったときからそう思っている。それでクラブの知名度を上げて仲間を増やし、ファンを増やし、かつ勝てる。難しい作業だけど、そういう選択をするクラブが出てきてもいいかもしれない。

☆ののむら・よしかづ 1972年5月8日生まれ。静岡・清水市(現静岡市清水区)出身。幼少からサッカーを始め、地元の清水東高から慶応大へ進学し、95年に市原(現千葉)入りした。2000年に札幌へ移籍するも01年シーズン後に現役引退。09年に道央リーグの小樽FCで現役復帰し11年までプレーした。13年に札幌の社長に就任。22年3月に第6代Jリーグチェアマンに就いた。175センチ、67キロ。

関連タグ: