1日に今季限りで現役を引退すると発表したJ1川崎の元日本代表MF中村憲剛(40)に、欧州進出のチャンスがあった――。関係者によると、中村サイドが海外進出を本格的に検討していたのは、2008年ごろとし、フランス1部グルノーブル入りが急浮上していたという。

 当時、中村は06年ドイツW杯後に就任したイビチャ・オシム監督の下で日本代表に定着。安定感のあるパフォーマンスでチームに貢献していたが、08年には欧州進出をもくろみ、グルノーブルと接触していた。

 関係者は「ちょうど、チームの1部昇格が決まったタイミングで、中村サイドから海外進出を考えているという話があった」とし、クラブ幹部とも話し合いを行ったという。

 当時グルノーブルはオーナーが日本企業のインデックス社だったものの、クラブは助っ人となる外国人として日本選手の獲得に否定的。また中村のような司令塔タイプも新戦力の獲得リストに挙がっていなかった。このため、チームに加入したとしても、主力としての活躍が難しいことから〝交渉〟はうまくいかなかったという。

 当時中村は27歳。日本代表にも定着し、海外進出のラストチャンスと考えていたとみられ「ほかにも2、3の海外クラブと接触していると聞いた」という。ただ、欧州では自クラブで選手をレベルアップさせ、他クラブに転売するビジネススタイルが主流だったこともあり、もう若手ではなかったことも、交渉がうまく進まなかった原因と言われている。

 結果として海外進出は果たせなかったものの、J1川崎一筋で数々のタイトル獲得に貢献し、一時代を築いた。同関係者は「憲剛が海外に出ていたらどうなったか。そこは判断が難しいところ。選手としていい時期に試合に出られず、苦しんだかもしれないし、結果を出して成功したかもしれない」と話した。