J1横浜Mの日本代表FW仲川輝人(27)が、2人の“恩人”に支えられてJリーグの年間最優秀選手賞(MVP)に輝いた。プロ入り前年(2014年)に右ヒザに重傷を負ってルーキーイヤーを棒に振った苦労人。プロとしては実績のない無名アタッカーだったころから、Jリーグのナンバーワン選手になることを予言していたかのような信頼と激励を受けていたという。

 7日のJ1最終節でFC東京を3―0で下して横浜Mの優勝の立役者となった仲川は、年間表彰式「Jリーグアウォーズ」(8日)でMVPを受賞。ベストイレブンと得点王の“個人3冠”に輝いた。身長161センチの点取り屋は、日本代表初招集となった東アジアE―1選手権参戦のため、表彰式を欠席したが、滞在中の韓国からの中継で喜びを語った。

 今季奪ったゴールは15。専大3年時に関東大学1部リーグ得点王に輝き、大学ナンバーワンアタッカーと称された逸材がようやく才能を開花させた。大学4年だった2014年10月に右ヒザ前十字靱帯と内側側副靱帯の断裂、半月板損傷の重傷。15年のルーキーイヤーは、ほぼプレーできない状況だったが、復帰の支えになった“恩人”がいた。

 まずは元日本代表FW小林悠(32=川崎)。川崎の下部組織で育った仲川は、プロ入り前年(09年)の大学4年時に右ヒザに大ケガを負うという同じ境遇を経験した小林と同クラブつながりで面識があった。ケガを克服してJ1で実績を残していた小林から「焦らずやれば大丈夫だから」と才能を信じて励ましの言葉を送られた。今回、MVP&得点王のダブル受賞が17年の小林以来というのも何かの縁かもしれない。

 もう一人は、元横浜M社長の嘉悦朗氏(64)。負傷を抱えて入団した当時の社長は、小柄ながら大学サッカーで得点を量産していた仲川がチームで活躍することを信じて疑わず「ウチの秘密兵器になる」と力説し、ケガで戦力にならない時期があっても見放さなかった。嘉悦氏が15年末に社長を退任した後、仲川は2つのJ2クラブ(町田、福岡)に武者修行に出され、昨季復帰。ノーマークだった今季開幕時から一気にJリーガーの頂点に立ったのだから、秘密兵器の面目躍如だ。

 もちろん、本人の多大な努力と2人以外から受けた多くのサポートがあってこその覚醒。小柄でも頂点を極めることができる――。仲川のMVP獲得は多くの人に夢と勇気を与えた。