【西川結城のアドバンテージ】日系ブラジル人として来日して22年。2003年に日本国籍を取得し、04年のアテネ五輪と10年南アフリカW杯を戦った。日本育ちの人間よりも日本人らしい。大和魂を地で行く男、田中マルクス闘莉王が現役を引退した。

 広島からスタートしたプロ人生。水戸で頭角を現し、浦和ではJ1初制覇や日本代表選出など、キャリアの絶頂を見た。その後、名古屋移籍1年目でもクラブに初のリーグ優勝をもたらす。「勝つこと。それが勝負の世界で最優先すべきこと」。そう言い切るDFはキャリアの数々で、その哲学を証明してみせた。

 1日に行われた引退会見。情深い男らしく何度か涙ぐむシーンがあった。体を張って傷だらけでも戦い続けた自分を思い出した時。勝利に真っすぐな性格から相手チームのサポーターや自チームのファンとも言い合った。敵味方を問わず「本当にありがとうございましたと言いたい」と感極まった時。そして22年間離れ離れで過ごしたブラジルにいる両親や家族への思いを語った時。すべて包み隠さず真っすぐに感情を表現する。それはとても闘莉王らしい終わり方だった。

 10年に浦和から名古屋に移籍。当時私は、初めはメディア嫌いの彼に苦戦しながらも徐々に打ち解けた。記者は基本、取材対象者にはフラットな姿勢。ただ闘莉王は名古屋で唯一同い年の選手だった。おのずと思い入れは強まっていった。

 12年に名古屋担当を離れてからも何度も彼のもとを訪れた。いつも好んで行くのは必ずと言っていいほど、赤ちょうちんの居酒屋。大好きなビール片手に自分のサッカー観や勝利へのこだわりを連々と語っていく。豪快なイメージとは裏腹に、実は頭脳明晰、戦術論にたける一面も持つ。大胆さと繊細さの共存。そして愛情深さまで併せ持つ。このギャップを知れば知るほど、男もほれてしまうような選手だった。

 会見の終盤、サプライズ登場したのは歴戦の盟友、元日本代表GK楢崎正剛と同DF中沢佑二。最後に楢崎が贈った言葉。「日本サッカーのために力を尽くし、名前の文字通り“闘って”くれた。彼以上の存在感を放った選手はいない。本当にありがとうと言いたい」

 まさに闘莉王に関わる人の思いを代弁したメッセージ。本人は隣で笑いながら再び目に光るものを浮かべていた。心熱き闘将。あまりにも大きな足跡を“母国”の地にくっきりと残した。

 ☆にしかわ・ゆうき 1981年生まれ。明治大卒。専門紙「EL GOLAZO」で名古屋を中心に本田圭佑らを取材。雑誌「Number」(文藝春秋)などに寄稿し、主な著書に「日本サッカー 頂点への道」(さくら舎)がある。