サッカー元日本代表監督でJ1FC東京のアドバイザーを務めていた石井義信氏が26日に死去した。79歳だった。27日にFC東京が発表した。死因や通夜、告別式の時間、場所は遺族の意向で非公表となっている。

 石井氏は1957年から東洋工業(のちのマツダSC、現J1広島)でプレー。日本代表にも選出され、65年から始まった日本リーグの3連覇に貢献した。現役引退後はフジタ(のちのベルマーレ平塚、現J1湘南)監督に就任。86年には日本代表監督に抜てきされたが、翌年のソウル五輪アジア最終予選で中国に敗れて本大会出場を逃し、辞任した。

 Jリーグ発足後は平塚の強化部長などを歴任し、2001年からFC東京のアドバイザーに就任。04年から日本協会の技術委員も務めた。

 日本代表に対する思い入れは深く、本紙のインタビューでもたびたび愛情ある提言をしていた。昨年10月6日に日本代表がニュージーランドに2―1で辛勝した後には「監督があまりにも細かいことまで言い過ぎると、選手がそれ以上のことを萎縮してやれなくなる。日本人に合ったやり方が大事だ」と当時監督のバヒド・ハリルホジッチ氏(65)の指導の問題点を指摘。また、W杯出場権を獲得した同8月のオーストラリア戦後の会見で、ハリルホジッチ氏が協会内に不信感を募らせていたことにも言及し「監督と技術委員長、副委員長が直接どの程度コミュニケーションを取れているか分からないが(中略)そういう問題は中で解決して表に出さないでほしい」と話していた。

 この時点で石井氏は選手との関係以上に、監督が協会とうまくいっていないことに警鐘を鳴らしていた。結果的に今回の解任劇で協会がハリルホジッチ氏とコミュニケーションを取りきれていなかったことも露呈。石井氏の「遺言」を協会は今後どう生かしていくのだろうか。