【ACL】武田修宏氏「川崎が憲剛を下げた采配は“ミス”なのか」

2017年09月14日 16時30分

中村(左)を前半で下げた鬼木監督

【武田修宏の直言!!】アジアチャンピオンズリーグ(ACL)準々決勝第2戦(13日、埼玉)は浦和が川崎に4―1で快勝し、2戦合計5―4として2008年以来9年ぶりの準決勝進出を決めた。

 第1戦が終わって川崎にあった2点のアドバンテージは正直、決定的な差と思っていた。アウェーといっても失点を重ねるシーンは考えにくかったし、失点しても好調の攻撃陣がカバーすると考えていたからだ。

 だが、やはりサッカーは何が起こるかわからないね。最大の焦点は、前半に退場者を出した後の川崎の采配だろう。DFが1人減り、鬼木達監督(43)はMF中村憲剛(36)を下げて守備を固めた。その時点で合計ではまだ2点のリードがあったが、監督は2点を守りにいった。

 中村は先制点のアシストを含め、浦和に脅威を与えていた。1人少なくなっても中村を残しておけば、浦和はカウンターをケアする必要があり、完全に前掛かりのサッカーを展開できなかったかもしれない。何より、中村はチームの精神的な支柱だ。それを自ら放棄したわけだから、自滅ととられてもおかしくない。

 その一方で、鬼木監督の考え方も理解はできる。まだ2点のリードがあるとはいえ、1人少ない状況で残り45分以上を守り切るための体力も考えないといけない。運動量が少ない中村を外す采配を「ミス」と言ってしまうのは簡単だが、そうとも言い切れない状況だったのも確かだ。

 川崎は攻撃を前面に出して勝ってきたチーム。1人少ない状況で守り切るサッカーに不慣れな点もマイナスに働いた。肝心のところで守備陣の連係も乱れた。タイトルを取るにはまだまだ足りないものが多い。

☆武田修宏:たけだ のぶひろ=1967年5月10日生まれ。静岡県出身。幼少期から「天才少年」と呼ばれたストライカー。名門・清水東(静岡)から1986年に読売クラブ(現東京V)入り。ルーキーながら11得点を挙げ、リーグVに貢献し、MVPにも選出された。Jリーグ発足後はV川崎や磐田、京都、千葉などでプレー。2000年には南米パラグアイのルケーニョに移籍。2001年に東京Vに復帰し、同シーズンで現役引退した。Jリーグ通算は94得点。JSL時代も含めれば152得点を挙げた。1987年に日本代表に選出。1993年米国W杯アジア最終予選でドーハの悲劇を経験した。

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