【霜田前技術委員長が振り返る日本代表激動の7年(4)】日本代表を統括する日本サッカー協会の技術委員長を務めた霜田正浩氏(49)が、八百長疑惑で契約解除となったメキシコ人のハビエル・アギーレ監督(58)について複雑な心境を語った。

 ――ブラジルW杯で惨敗。ロシアW杯に向けアギーレ監督が就任した

 霜田:ブラジルでは結果が出なかった。ポゼッションを武器にするだけでは世界相手に勝てない。反省を踏まえて、W杯で勝つため、いろいろなことができる指導者が望ましいということになり、最終的にアギーレさんにお願いすることになった。かねて調査はしていた指導者だった。

 ――2015年アジアカップはベスト8敗退

 霜田:良い戦いをしてくれたけどPK負け。アンラッキーだった。それでも選手に的確な指導と助言をしてくれた。内容にこだわるだけではなく、勝つために逆算したプレーをしなさいとか。W杯に4度出た監督の経験値を示してくれた。それに(柴崎)岳(テネリフェ)と武藤(嘉紀=24、マインツ)を発掘。若い選手をちゅうちょなく代表に呼ぶのはさすがだなと思った。

 ――その過程で八百長疑惑が浮上。裁判所に出向くことになり、協会は契約解除を決断した

 霜田:それはショックだった。でも「何でわからなかったのか」と言われたのが一番ショックだった。スペイン検察が水面下で進めていたものを、僕らがどうやってわかるのか。言い訳するつもりはないが、つらいなって思った。あのときの協会の判断は理解できる。でも疑惑では44人の選手や指導者の名前が出て、職を追われたのはアギーレだけ。そこは複雑なところかな。

 ――短い就任期間で印象に残ったのは

 霜田:(アジア杯の開催地)オーストラリアで初めて長い時間を一緒に過ごしたとき「ここは日本代表で日本人しかいない。この先に世界で勝つためには日本人が気持ち良く仕事をするだけがスタンダードではない。日本人が嫌がること、受け入れがたいことでもあえて取り組まないと勝てないんだ」と。これは印象深い言葉だった。

 ――根底から改革しようとしていた

 霜田:日本を理解して日本語が通じてとか、日本人にとって居心地の良さを追求していたら、いつまでも世界で勝てないと感じた。日本の文化や教育だけでは勝てないところもある。世界から見たら日本は弱小国なんだから、ピッチの中でずる賢くやらないと…。世界で勝つためにはポリシーは曲げないし、嫌われるのも覚悟していた。

 ☆しもだ・まさひろ 1967年2月10日生まれ。東京・豊島区出身。都立高島高を卒業後、ブラジルにサッカー留学し88年にフジタ工業(現J2湘南)入り。引退した93年に大塚製薬(現J2徳島)でコーチに就任。数々のクラブで指導者や強化担当を歴任。2009年に日本サッカー協会入りし、10年から技術委員。14年9月に技術委員長に就任した。16年3月に組織再編でナショナルチームダイレクター。長年日本代表をサポートしてきたが、同年末で退任した。170センチ、63キロ。