独占激白!なでしこ高倉監督「再建策」「澤入閣」大いに語る

2016年11月19日 11時00分

なでしこジャパンの将来像について語った高倉麻子監督

 日本女子サッカーの復権はあるのか――。リオデジャネイロ五輪出場を逃したなでしこジャパンの指揮官に就任した高倉麻子監督(48)が本紙のインタビューに応じ、2020年東京五輪に向けたチーム再建プランを披露した。さらに日本代表史上初となる女性監督としての苦悩や、なでしこのレジェンドで元代表MF澤穂希さん(38)の入閣の可能性、知られざる素顔まで赤裸々に語った。

 

 ――兼務するU―20日本女子代表はU―20W杯の優勝候補だ

 

 高倉:目標は優勝。選手が高いモチベーションでやっているし、本番が待ち遠しい。長い時間をかけていろんな方が携わって育成をやってきたので(選手には)ハッパをかけています。

 

 ――一方で、なでしこジャパンは監督に就任後、3戦未勝利

 

 高倉:いろんな可能性を試しています。その中で新しい選手がどれだけやれるのか、ポジションもいじったりしています。ただ勝たないと気持ち悪いし、難しいところですね。大事なのは(2019年フランス)W杯で勝つこと。まずは東アジアカップ(来年12月、日本)でいろんな選手を試すことになります。

 

 ――未招集が続くMF宮間あや(31)らベテラン勢の扱いは

 

 高倉:リーグでパフォーマンスが良ければ呼ぶ。それだけです。メンバーを固定する気もないし、調子が悪ければ外して新しい選手を入れることも必要。ベテランの経験と若い選手のフレッシュさをうまく交ぜていければいいですね。みんな平等にチャンスがある。

 

 ――チームの規律は? ハリルジャパンは食事の際のルールも厳格だ

 

 高倉:食事は楽しい時間なので自由に。私も楽しみだし、ゆっくり食べたいじゃないですか。U―20は(会場に)来た順に座ってみんな仲良くしていますね。そこは大事。女子は変な雰囲気が出ると(グループで)固まりだすので。ただ携帯電話の使用は部屋以外禁止にしています。

 

 ――代表監督の重圧と今後の方針について

 

 高倉:大変な重責ですが、あまり考えないように。選手と向き合い自分の持っているものをぶつけるだけ。それに東京五輪に向けたビジョンについてもよく聞かれますが、W杯もあるので、そこはこれから。まずは人間性も含めてシンプルに評価し高められる集団にしたいと考えています。練習も含めてグラウンドで100%でやること。80%ではダメ。それが選手に求める絶対条件です。

 

 ――ところで澤さんをコーチにするのか

 

 高倉:考えたことはないです。澤以外にもなでしこで活躍した選手はいるし、指導者を志している子もいるので、スタッフというか現場に入ってもらうことは考えています。澤もOGだけど、今はゆっくりしたいだろうし、もうすぐ赤ちゃんも生まれるので。

 

 ――選手として読売ベレーザで活躍したころ、男子のヴェルディで刺激を受けた人物は

 

 高倉:ラモス(瑠偉)さん(59)やカズ(三浦知良)さん(49=J2横浜FC)がいた時代で、やたら車が派手というのが刺激でしたね。ビスマルク(47)とは1対1の練習をやっていました。「オレは頭を使うからうまいんだ」と言っていたけど「私だって頭使うわ」と思いながら。ラモスさんともそんな感じで。駆け引きとか、相手が何を考えているのか考えるのがサッカーだし、そこは学びました。

 

 ――現役時代に「女ラモス」と呼ばれていた

 

 高倉:古っ! まあ、ポジションやプレースタイル(司令塔タイプ)とかが似ていたからじゃないですか。

 

 ――オフの過ごし方

 

 高倉:昔は絵画を見に行ったけど最近はどこも混んでいて。今は散歩かな。定番のコースは寅さんの柴又(帝釈天)辺りをのんびりと…。あとはビールを飲むくらいですね、昼間からそば屋で。本を読むのが好きで、最近は池波正太郎にハマっています。なかでも「剣客商売」とか。

 

 ――渋い

 

 高倉:江戸時代が好きなんです。池波正太郎を読んだ後は、油断すると“斬られるぞ”というモードに入っちゃうんです。そこから日本酒を飲んで現実を忘れますね。時々はサッカーから離れる時間もないとやっていられない。「高倉監督、江戸時代に逃げる」とでも書いておいてください(笑い)。

 

 ☆たかくら・あさこ 1968年4月19日生まれ。福島県出身。地元でサッカーを始め、中学生でFCジンナンに入団。主にMFとしてプレーし、83年には日本代表に初選出された。85年に読売ベレーザ入団。91、95年世界選手権(現W杯)と96年アトランタ五輪に出場するなど国際Aマッチ79試合20得点。99年に松下バンビーナ(現大阪高槻)に移籍し、2004年シーズンで引退した。指導者に転身し、14年にU―17女子代表を率いてW杯優勝。4月になでしこジャパン監督に就任した。