リオデジャネイロ五輪に出場するサッカー男子日本代表でエースナンバーの10番を背負うのがMF中島翔哉(21=FC東京)だ。その素顔はプロになる前からビッグマウスを連発し、周囲を困惑させてきた“異端児”。小学生のころから熱心に指導してきたJ2東京Vの冨樫剛一監督(44)が愛弟子について激白した。

 中島はジュニアからジュニアユース、ユースと生粋の東京V育ちで、そのままプロとなった。冨樫監督は「小学生のときから“絶対にプロになる”と思って見ていた。体は小さいけど、欲求は大きい。とにかく何にでもチャレンジする選手だった。当時は『バルセロナ(スペイン)で10番を背負う選手になる』が口癖だった」。

 高校生になるころ、ユースチームへの昇格を渋った。中島は「海外でやりたい。ブラジルに留学する」と言いだし、周囲を困らせた。

 高校2年のとき、ユースチームのオランダ遠征では、アヤックスなど名門クラブのスカウトから大絶賛されると「もう日本に帰らない」と駄々をこねた。

 いずれも両親やスタッフが金銭面や受け入れ先の問題などを伝えて翻意させた。それでも「サッカーがうまくなりたい」という意欲はとどまることがなかった。

 特に「(元ブラジル代表MFの)ロナウジーニョ(36)になりたいって。憧れていたけど、ライバルだから負けたくないって」(冨樫監督)。

 ユースのころから世界を意識した一方で、当時からかなりのビッグマウスだった。冨樫監督は「いいんじゃないですか。彼自身に負担がかからないように注意もしたけど…」と話すものの、サッカーに関することになると過激な言動ばかり。周囲を困惑させることも多い“問題児”だった。

 現在の所属のFC東京では、出場機会をあまり得られていない。それでも中島は手倉森ジャパン発足時から10番を背負い続ける。

 冨樫監督は「逆に言えば、あいつ以外に誰がいるの? 昔からつけているし、ふさわしい選手には自然とふさわしい背番号が与えられるものでしょ。(手倉森)監督も信頼している証し」とみている。

 手倉森ジャパンの活動で東京Vグラウンドを訪れた際に再会し「元気か?」と腰のあたりを軽く叩いた。冨樫監督は「すごくつまっていた。ポンポンっておいしいスイカのように。ものすごく鍛えたのでしょう。お尻からもも裏にかけての筋肉の張り方が違っていた」と成長を実感した。

 かつての名門・東京VはJ2から抜け出せずにいるが、中島をはじめユース出身の選手はJ1クラブで活躍中。冨樫監督は「翔哉がどれだけゴールをこじ開けてくれるか。点を取ることで日本を高みに導いてほしい」とエールを送った。