【多事蹴論(47)】「ファッションリーダー」と呼ばれたエースの舞台裏とは――。初出場した1998年フランスW杯以降、日本代表の絶対エースとしてチームを支えたMF中田英寿は「ファンタジスタ」として、その名を世界に知らしめた。華麗なテクニックに加えて強靱なフィジカル、卓越した戦術眼で日本サッカーの躍進に貢献。29歳だった2006年ドイツW杯後、惜しまれつつ現役を引退した。

 そんな中田がプレーとともにこだわったのがファッションだった。サッカー選手は一般的にユニホームやジャージーなどの練習着姿で露出することが多く、私服で登場する機会は多くない。しかし98年W杯後の夏にイタリア1部ペルージャに移籍した中田は日本代表に参加するため、帰国する際、多くのメディアが待ち受ける成田空港で独特なプライベートファッションを披露し、大きな話題となった。

 パリッと英国風の高級スーツに身を包んでいることもあれば、若者らしいオシャレな装いで日本に降り立つケースもあったが、ときには奇抜な服装で登場し、本紙を含めたメディアや居合わせた一般客を驚かせることもあった。あるときは高級ブランド「ルイ・ヴィトン」の最新作を上から下まで全身にまとってロビーに出現し、あるときは約3メートル超のストールを地面すれすれになびかせた。また、真夏の8月に厚手の革ジャンを着用し、足元だけ雪駄。さらには片袖がないチェック柄のシャツなど「これが本場のファッション」と言わんばかりの涼しい顔で帰国したが、一般客からは失笑も漏れていた。

 日本サッカー協会関係者らによると、中田のファッションは各ブランド側との“バーター”だったという。日本代表の絶対エースとあってメディアに露出する機会も多いため、ブランド側から最新作などの宣伝につながると期待され「ウチの服を着てくれ」と依頼を受けるのだそうだ。また、お気に入りだったのはドクロ。指輪やネックレスなどに不気味なアイテムを多用していた。

 とはいえ、帰国するたびに見せる中田のファッションは世間の大きな注目を集めた。独特な服装だけではなく、最先端のカバンなどの“ヒデ流”のオシャレは、ワイドショーや女性誌で特集が組まれ、大御所のファッション専門家が本格的に分析。賛否両論だったものの、大きな話題となり、いつしか「成田コレクション」とも呼ばれるようになった。

 ちなみに中田と同じ便に搭乗した乗客らによると、イタリアなどで帰国便に乗り込む際はスーツ姿だが、離陸前にはリラックスできるジャージーに着替えるという。そして日本へ到着する直前、メディアにアピールするため、わざわざ奇抜なファッションに衣替えしていたそうだ。 (敬称略)