なでしこの“ニューヒロイン”宇津木瑠美が語った「W杯、リオ五輪、結婚願望」

2015年07月31日 10時00分

宇津木は私生活の一端も笑顔で明かしてくれた

 なでしこジャパンの“ニューヒロイン”として注目が集まるMF宇津木瑠美(26=モンペリエ)が本紙の独占インタビューに応じた。主力としてチームを準優勝に導いたカナダ女子W杯の知られざる秘話を激白。来年に迫ったリオデジャネイロ五輪にかける意気込みや“美女アスリート”として注目される葛藤、そして気になる私生活から今後の人生プランまで語り尽くした。

 ――W杯を振り返って

 宇津木:今まで自分が経験した代表活動の中で一番充実した大会だった。すごく居心地が良くて、みんなで話し込んで女子会みたいになっていた。

 ――準優勝の結果は

 宇津木:もっと成長しなきゃいけないというのが明確になった。むしろ今の自分にとっては、金より銀のほうが価値があったのかなと感じた。

 ――最も印象に残っていることは

 宇津木:初戦でMF安藤(梢=33、フランクフルト)選手がケガしてしまったことが、本人以上に自分たちは悔いが残っている。ただそこで一人の選手が離脱しても国のために、たとえ自分が代わっても目の前の試合に勝てればいい、そんな思いもチームに生まれた。彼女のおかげで試合に勝てた。それに尽きると思う。

 ――フランスに渡って5年。国内と海外を経験し、若手にアドバイスする立場にもなってきた

 宇津木:国内のことはいいから海外に早く行きたいという若い子も結構いるけど、行って何が成長する、帰ってきて何が成長するのか分からない状態で海外に行ってもしょうがない。そういう意味では、国内の選手も海外にいる選手も同じフィールド(代表)で戦えるというのを見せないと、みんながみんな海外にばかり目を向けて過程を大切にしないまま、そういった大きい舞台にだけ憧れる時代になってしまう。

 ――同じポジションからMF澤穂希(36=INAC神戸)の“後継者”と期待する声も大きい

 宇津木:澤さんのところは永久に澤さんのものであって、仮に私が澤さんの位置に入るとすれば、それは後継者じゃなく“宇津木瑠美”。全く別物で宇津木のスタイル、個性を出しながら引き出しを増やしていきたい。

 ――来年にはリオ五輪が控えている

 宇津木:サッカー選手というより日本の一員。何か一つ日本のために残していかないと、という気持ちになる。

 ――目標はロンドン五輪で逃した金メダル

 宇津木:そうですね。そこはみんな常に思っているし、狙ってこその順位。一試合一試合、みんなの心に届くような試合をしていきたい。

 ――ところで、美女アスリートとしても注目を浴びているけど

 宇津木:私たちの中では、ただのネタという感じです(笑い)。サッカーとそうじゃない時は懸け離れていて…。練習になるとキビキビですけど、そうじゃないとダラダラで何もしないんです。

 ――ファッションにこだわるイメージも

 宇津木:普通ですよ。髪を結ぶものも私は派手なのが嫌なので、普通にスーパーとかで売っている3個100円とか(笑い)。あ、でも私一番、怒られるんです、いろいろと…。

 ――何を

 宇津木:例えばみんな同じ服(ユニホーム)を着ているので、ちょっと短くしたり、袖をめくったりとかやりますね…。

 ――今後の人生設計は

 宇津木:先のことは考えられない性格なので…。もしかしたらすごいところに住んでいるかもしれないし。ただ、人生、自分で自分をつまらない女だと思ったら終わり。つまらない人間にはなりたくない。

 ――10年後は

 宇津木:サッカーをやっているかもしれないし、4~5人子供がいるかもしれない。10年後の自分を期待できるように今を過ごしたい。

 ――結婚願望が強い

 宇津木:女性として生まれているので結婚はしたいですね。私の家族もきょうだいが多いし、その良さを一番感じているので、自分が子供を産むならたくさん産みたい気持ちもあります。

 ――自分のきょうだい以上に

 宇津木:という気持ちもあるし、一人っ子に憧れるのもある。本当にきょうだいみんな優しくて、仲が良すぎて友達ができないくらいですよ(笑い)。

 ――将来タレントに転身しても人気が出そうだ

 宇津木:無理でしょう(笑い)。すごくシャイなんで。まあ本当に縁があれば…。

 ――挑戦したいことは

 宇津木:たまにみんなで「本気で運動会やりたいよね」とか言ってます。

 ――では五輪後に…

 宇津木:イス取りゲームとかやりたいですね。私は全部取られそうですけど(笑い)。

☆うつぎ・るみ=1988年12月5日生まれ。神奈川・川崎市出身。6歳からサッカーを始め、2001年に日テレ・ベレーザの下部組織のメニーナに入団。同年皇后杯に13歳で出場した。05年にはU―17アジア選手権で優勝し、同年5月のニュージーランド戦でA代表デビュー。07年中国W杯、08年北京五輪に出場。08年U―20W杯にも主将として出場した。10年7月にモンペリエに移籍。11年ドイツW杯優勝メンバーで、カナダW杯では6試合に出場して準優勝に貢献した。代表通算86試合出場、5得点。168センチ、59キロ。4人きょうだいの3女。