【多事蹴論(43)】「サッカーの神様」と呼ばれたブラジル代表のスター選手が「ジーコ」ではなかった時代とは――。ジーコはブラジル1部フラメンゴやイタリア1部ウディネーゼでプレーしたスーパースター。ブラジル代表の10番を背負うなど、数々の大会で母国を勝利に導いた。1991年に住友金属(現J1鹿島)に入団し、日本サッカーの発展に大きく貢献。現役引退後は日本代表を率いて2006年ドイツW杯を戦った。

 世界的にも広く知られる「ジーコ」も本名ではない。ブラジルではニックネームが一般的な呼び名として使用されることが多く、サッカー界でも愛称で選手登録されることが多く「ジーコ」もあくまであだ名だ。本名はアルトゥール・アントゥーネス・コインブラ。日本代表監督に就任した当時の名刺にも「ジーコ」ではなく“実名”が記載されている。

 本人によると、ジーコは6人兄弟の末っ子だったため家族から小さい子を指す「ジーニョ」(〇〇ちゃんの意味)と呼ばれていたのがキッカケでいつしか「ジーコ」に変化したという。「まあチビってことだよ。別に不快に思ったことはないよ」という一方、子供時代には「ガリーニョ・デ・キンチーノ」と呼ばれることもあったそうだ。

 キンチーノは当時住んでいた町の名前でガリーニョは小型のニワトリで小学生時代に首を前後に動かしながら歩く姿が由来。後にプロとなり、フラメンゴでデビューしたころ、ガリーニョが「ガーロ」(オスのニワトリ)と呼称。闘志あふれるプレーぶりが闘鶏を想像させたためだ。当時のチームメートは今でも「ガーロ」と呼ぶという。

 そんなジーコ本人が印象的だったというのはイタリア時代のことだ。「ウディネーゼにいたころにジーコと呼ばれたことはないんだ。いつも本名だったよ。応援してもらうときもスタンドから“アルトゥール・コインブラ”ってコールされていたし“アルトゥー”って略されることもあった。英語でいうアーサーってことらしいよ。3年間だけだがね」と告白した。

 その一方、日本代表監督時代にテクニカル・アドバイザーとしてスタッフ入りした実兄エドゥー氏は「日本のテレビを見ていて『ジーコ』と聞こえると、いつも爆発していたり、炎が上がっているような映像が出ているけど、あれは『ジーコ』ではなく『事故』なんだろ? いつもビックリさせられるよ」と“ネタ”ではなく、真剣な表情で話していた。

 ちなみに「サッカーの神様」と呼ばれていることを聞かれると、空を指さして「私は神様ではない。神は天にいるよ」と返答するのが定番だ。またブラジル時代にジーコとも対戦した経験があるカズこと元日本代表FW三浦知良はポルトガル語の正しい発音で「ズィッコ」と呼んでいる。