英高級紙「ガーディアン」が五輪サッカーの不要論を展開した。

 同紙は五輪のサッカー競技を巡る現状を特集。「この大会を本当に重要だと思っているのは数少ない国(ホンジュラス、韓国、開催国)の献身と情熱だけだ」と指摘。サッカーはW杯が国際大会の頂点とされ、五輪は年齢制限が設けられたうえでクラブ側に選手派遣の義務すらない。実際に今大会では、欧州各国や南米の雄アルゼンチンで招集拒否が相次ぎ、ドイツでは規定の登録枠の22人すら集められていない。サッカーの母国で影響力を持つ立場から、同紙は「五輪サッカー」はもはや国際大会のていを成していないと厳しく糾弾したのだ。

「実際の五輪が始まる(開会式)前から始まり、他のスポーツが中心になっていく。中途半端なメンバーリストが投入され、(競技に対する)真剣さのレベルは大きく異なる」と五輪への取り組みには地域によって温度差があり、特に欧州では五輪が軽視されてきた状況を指摘。

 そして「こうしたことに何の意味があるのか。すでに膨張している五輪のプログラムを膨らませること以外に、何をもたらすのか。ただでさえ過密なサッカーのカレンダーに、さらにいくつかの試合を詰め込むだけだ。五輪サッカーが何なのか誰もよく分かっていない」と五輪におけるサッカー競技の〝無意味さ〟を強調する。

 そうしたことを踏まえて「痛々しいほどに忘れられがちなトーナメントは終わりのときがやって来た。男子サッカーはもはや五輪に残るのにふさわしくない」と不要論を強く主張した。

 サッカーの母国から飛び出した五輪サッカー不要論。今後大きな議論を呼びそうだ。