【武田修宏の直言!】18日のキリンチャレンジカップ・オーストラリア戦(大阪・長居)は2―1で勝ったとはいえ、将来に向けて不安しか感じない試合だったね。ホンジュラスに6点も取った(14日)ことで見逃しがちだったけど、やはり守備の不安定さは問題だよ。アンカー(守備的MF)を1人置くシステムを採用して6試合。結論から言うと、ザッケローニ監督時代のチームよりも確実に弱くなっている。

 オーストラリアと対戦するときはいつも日本がボールを支配し、オーストラリアがフィジカルを前面に出して潰しにくるという図式だった。でも、今回はオーストラリアにボールを回され、フィジカルでも勝てないという内容。個人の動きだけ見れば、岡崎は前線で体を張り、武藤もいい飛び出しでゴールを脅かした。本田も周りをよく見てチャンスを作った。でも、それが組織になっていないから攻守のバランスが悪いんだ。

 アンカーを置いた場合、その両脇のスペースを狙われる。そのカバーをどうするのか。ホンジュラス戦では大きなピンチにならなかったけど、オーストラリアはその弱点を突いてきた。だから前半途中、日本は守備的MFに遠藤と長谷部を並べる形に変えて対応した。これが勝利につながったわけだが、アギーレ監督の“色”とは何なのか、さらにわからなくなった。

 ザック監督はイタリア人らしく守備の組織を作るところから始め、アジアカップで優勝した。だが、アギーレ監督は攻守ともに中途半端。厳しい言い方かもしれないが、オーストラリア相手にこんな調子ではアジアカップはもちろん、4年後のロシアW杯で好勝負することも期待できない。

 ☆武田修宏:たけだ のぶひろ=1967年5月10日生まれ。静岡県出身。幼少期から「天才少年」と呼ばれたストライカー。名門・清水東(静岡)から86年に読売クラブ(現東京V)入り。ルーキーながら11得点を挙げ、リーグVに貢献し、MVPにも選出された。Jリーグ発足後はV川崎や磐田、京都、千葉などでプレー。00年には南米パラグアイのルケーニョに移籍。01年に東京Vに復帰し、同シーズンで現役引退した。Jリーグ通算は94得点。JSL時代も含めれば152得点を挙げた。87年に日本代表に選出。93年米国W杯アジア最終予選でドーハの悲劇を経験した。