元U―20日本代表監督が明かす「無名の本田圭佑を大抜てきした理由」

2014年05月05日 14時00分

本田(下)と大熊監督(2005年1月、カタール国際トーナメント」決勝)

 ブラジルW杯に臨む日本代表のエースMF本田圭佑(27=ACミラン)の原点とは――。2005年6月にオランダで開催された世界ユース選手権(現U―20W杯)で日本を指揮した大熊清監督(49=現J1大宮監督)は、当時18歳で無名だった本田を“飛び級”で大抜てきした。そこで感じた可能性はいったいどんなものだったのか。初めて日の丸を背負う戦いに臨んだ当時のエースの舞台裏と、知られざるエピソードを大公開した。

 ――U―20日本代表監督時代の教え子が、各チームで活躍している。本田もその一人だ

 大熊監督:あいつはいろんな意味で別格。すごい。あんな有名軸はそうそういない。俺は18歳のときから見てるけど、今は実績も残しているし、何にしても重い。A代表でも(代表コーチとして)一緒にやったけど、我慢もできるし、ああいう傲慢さは組織に必要。

 ――U―20代表時代から「俺が俺が」という選手だったのか

 大熊:あの時からブレてないよ。俺も監督業を長いことやってるけど、(世界ユース初戦のオランダ戦後)俺の部屋に入ってきて「次の試合に出してくれ」と言ったのはアイツだけだ。すごいヤツだと思ったよ。普通は「いつでも入ってこい」と言っても、プロ選手でも(監督の部屋に)入ってくるヤツはいないのに。

 ――本田はオランダ戦で守備的MF(ボランチ)で先発起用したが、後半19分で交代。チームも1―2で敗れた

 大熊:アイツは「オランダ戦は自分がダメだったのは分かっている。もう一回、日本のため、自分のために頑張りたいから」と言っていた。向上心はずばぬけていたね。

 ――それに対しての返答は

 大熊:その時は「悪いけど、起用は俺が決める」と言った。(2戦目ベナン戦は)圭佑は使わず、梶山(陽平=28、J1FC東京)を使った。当時は梶山が良かったからね。

 ――当時、あまり注目されていない本田をなぜ招集したのか

 大熊:俺も注目してなかったよ(笑い)。俺が星稜高(石川)の試合を見に行った時はサイドバックだったんだけど、キックは異次元だった。正確だったし、逆サイドまで飛ぶ。しかもいろいろな(種類の)ボールを蹴れた。俺が見に行った後も、左サイドやボランチとかいろいろやっていて、ユーティリティーさがあったからね。

 ――そんななかで監督は守備的MFでの起用を選択した

 大熊:梶山がいなくて、ああいうボールを蹴れる選手がボランチをできれば…と思って使った。結果的に、あの試合に限って言えば通用しなかったけど、将来的にはああいうボールを蹴れるヤツが日本代表のボランチに入ればいいと思っていたから。

 ――ザックジャパンではトップ下を務める

 大熊:もう1つ前(のポジション)だったね。岡田(武史=57、元日本代表監督)さんが(適正ポジションを)見つけてくれた。俺の見る目が足りなかったな(笑い)。岡田さんが前で使ってくれて、順調にきているから。

 ――当時の本田にはどんな指導をしたのか

 大熊:守備のところは(厳しく)言ったね。あのころは守備もできなかったし、足も遅く、スピード感がなかった。将来、守備ができないとボランチはできないと思っていたから。

 ――当時はACミランで活躍する選手になると思ったか

 大熊:あのときは海外への間口が広がってなかったし、思わなかったね。急に広がったのは(2010年の)南アフリカW杯の後。最近のミランの試合? 見てないんだよ。でもアイツは有言実行というか、言い続ける力がすごい。まさしく「努力に勝る天才なし」だね。

☆おおくま・きよし=1964年6月21日生まれ。埼玉県出身。名門浦和南高から中央大に進学し、87年に東京ガスに入社。サッカー部で活動し、92年に現役を引退して95年から同監督を務めた。2001年の退任後は日本サッカー協会技術委員を務め、世代別の代表監督を歴任。06年に日本代表コーチに就任し、南アフリカW杯16強の一翼を担った。今季から大宮の監督に就任した。