英雄・マラドーナ死す 神の子60年、すべてが伝説

2020年11月26日 11時30分

1986年メキシコW杯では肩車されてトロフィーを掲げた(ロイター)

 サッカー界のスーパースターで元アルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナ氏が25日、ブエノスアイレス近郊の自宅で死去した。10月30日に60歳になったばかりだった。同国メディアによると死因は心不全だったという。数々の輝かしいキャリアを誇りながら、薬物依存などピッチ外でも常に世間を騒がせてきたカリスマ。本紙紙面も派手ににぎわせてくれた。

 マラドーナ氏は今月3日に左頭部に硬膜下血腫が見つかり、手術を受けていた。その後は退院し、アルコール依存症の治療を受けていたが、25日になって容体が急変し、心肺停止状態となってそのまま息を引き取ったという。偉大な選手の死にアルゼンチン国内は悲しみに暮れ、アルベルト・フェルナンデス大統領(61)は同国が3日間の喪に服すると発表した。

 15歳でプロデビューし、16歳でアルゼンチン代表に選ばれた。その後は名門ボカ・ジュニアーズでプレーし、1982年にはバルセロナ(スペイン)に移籍。そして、マラドーナ氏の名を全世界に知らしめたのは86年W杯メキシコ大会だった。

 準々決勝のイングランド戦ではヘディングに見せかけて手でボールを入れた「神の手ゴール」や、自陣から60メートルをドリブルで独走し、最後はGKまでもかわした「5人抜きゴール」は今でも語り草。アルゼンチンを2度目のW杯優勝に導き「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」とも言われた。現在、国際大会や各国リーグ戦などで導入されているビデオアシスタントレフェリー(VAR)があったなら「神の手ゴール」はあっさりノーゴール判定を受け、誰の記憶にも残らないシーンになっていたはず。そんな時代性もマラドーナ氏をカリスマ化させる材料の一つだったのかもしれない。

 圧倒的なプレーでファンを魅了した一方、トラブルも多かった。ナポリ(イタリア)時代の91年にコカイン使用が発覚し、再起を懸けた94年W杯米国大会ではドーピング違反で追放処分を受けた。これで代表のキャリアを終えると、97年の自身の37歳の誕生日に現役引退を表明。その後は薬物依存もあって極度の肥満状態となり、健康面、精神面の問題が大きな話題を呼んだ。

 ただ、カリスマ性は随一で、2008年にアルゼンチン代表監督に就任した際は選手から絶大な信頼を受けた。特にFWリオネル・メッシ(33=バルセロナ)を自らの後継者と目し、公私にわたって目をかけてきた。監督としては攻守分担型の戦術で近代サッカーに適応できず、10年W杯南アフリカ大会では8強止まり。大きな成果を得ることはできなかった。

 輝かしい功績とお騒がせで常に話題の中心にいたマラドーナ氏。サッカー界はまた一人、偉大な男を失った。