「世界に通用するセレッソ大阪の『育て勝つ』流儀」(ワニブックス刊)の著者で、昨季までC大阪のチーム統括部長や強化部長を務めた梶野智氏(48)の本紙インタビュー後編。ザックジャパンで活躍を続ける新エース候補FW柿谷曜一朗(24)や超新星FW南野拓実(19=ともにC大阪)の秘話を公開した。

 ――ブレークした柿谷には紆余曲折があった

 梶野氏:曜一朗は何もかも別格で同期入団の(香川)真司(24=マンチェスター・ユナイテッド)より当時の評価は上だった。だけど、チヤホヤされて少し謙虚さが足りなくなった。「自分はできる」と思っているのに、試合に出られないから面白くない。だから遅刻もするし、練習にも身が入らない。そのころ、J2徳島からオファーがあり移籍した。伸び悩みを心配していたからで、遅刻だけが原因ではない。

 ――徳島に移籍後も柿谷には

 梶野:もちろん気にしていた。徳島ではチームメートや監督にも恵まれて、いい環境だったようだ。ただ試合を見に行った時に、スタジアムで曜一朗に会っても「おう」と声をかけるだけであえて距離を置いた。目の前のことに集中してほしかったから。寂しがり屋だから、こたえたかもしれない。

 ――2012年になってC大阪に復帰した

 梶野:戻ってくるときも、契約満了でどこにでも移籍できる状況だったが、曜一朗の意思で戻ってきた。成長していたので活躍できると思っていた。だが当時、8番を清武(弘嗣=24、ニュルンベルク)がつけていることにショックを受けた。清武は大分からの移籍組。8番はC大阪の生え抜きがつけるべき、と曜一朗は考えていたから。

 ――背番号「8」が柿谷を変えた

 梶野:背番号はかなり意識していたのでは。昨年からは曜一朗が8番を背負うが、エースナンバーなのでやはり下手なプレーはできないし、責任も重い。こうした環境が曜一朗の活躍につながったのではないか。今はもう心配していない。ただ(シーズンオフに)ちょっとテレビに出過ぎたかな…(笑い)。

 ――日本代表にも選出された

 梶野:実は、ザッケローニ監督(60)と会って話をしている。そこで代表に選ばれた山口(蛍=23)や扇原(貴宏=22)、柿谷の名前を挙げ「セレッソ、ファンタスティック」と言われた。いろいろな話をし、そこでザッケローニ監督が選手について話していた内容を本人に伝えた。

 ――内容を知りたい

 梶野:うーん。山口に関しては「なんでいつも柿谷と一緒にいるんだ」と言っていたので、そのままを蛍に伝えるのではなく「周りに遠慮するな、もっといろいろな人と話をしたほうがいい」と。曜一朗については「まだ日本代表で遠慮しているようだ」と言っていた。彼にはそのままストレートに伝えた。

 ――2人に変化は

 梶野:ザッケローニ監督と会ったのは(昨年)10月、日本代表の欧州遠征後のこと。曜一朗は点が取れていなくて、蛍は試合に出ていないという状況だった。ザッケローニ監督の言葉を伝えたあと、彼らがどう実践して監督がどうとらえたかはわからない。それでも11月の欧州遠征(ベルギー)では2人とも試合に出て活躍した。

 ――柿谷の海外移籍は

 梶野:話はあった。オファーがあれば本人に知らせ、クラブの考えを伝える。もちろん残ってほしいと。ただ最終的に決めるのは本人なので悩んだのではないか。今回は契約更新したが、ブラジルW杯があるから。移籍して試合に出られなくなる可能性もあるし、体調面なども考えて。W杯後は海外進出? そうなるでしょう。

 ――昨季の新人王FW南野はどう見ている

 梶野:もうすごい。よく考えている選手。19歳の時の真司を軽く超えている。何よりメンタル面が強いし、先の先まで読んでプレーができる。頭の中も整理されているし、まるで大人のようだ。おそらく20年、いや30年に一人の逸材でしょう。本人のがんばり次第では、ブラジルW杯に行く可能性もある。サポート(メンバー枠)には入るでしょう。

 ――自著について

 梶野:C大阪で過ごした14年間、やってきたことのすべてを読みやすく面白く書いた。サッカー関係者はもちろんスポーツに携わる方、ビジネスマンにも参考になる内容。サポーターの方も選手の素顔を知りたかったらぜひ読んでほしい。

 ☆かじの・さとし 1965年11月9日生まれ。愛知県出身。88年に東京農業大学からヤンマーディーゼル・サッカー部(現C大阪)入り。主にDFとしてC大阪、札幌でプレーし、99年に現役を引退。2000年からC大阪サッカースクールのスタッフとなり、07年にチーム統括部長(後の強化部長)に就任。若手を育成し、C大阪を躍進させた。昨シーズン後に退任。177センチ、71キロ。