背番号「4」に隠された本田の思い

2019年04月02日 11時30分

本田(左)の「4」と香川(中)の「10」はやはり特別な番号だ

【西川結城のアドバンテージ】サッカー新連載「西川結城のアドバンテージ」がスタート。新進気鋭のライターがJリーグや日本代表で起きた事件の裏側や選手の知られざるエピソードなど、独自の視点で切り込む。第1回は森保ジャパンの「背番号10」問題に迫った。

 サッカーで「10番」は言わずと知れたエース番号。洋の東西を問わず、過去も名選手たちが背負ってきた。ただ、昨今は番号にこだわらない選手も現れている。若い選手に問うと「別に番号でプレーするわけではない」と素っ気ない言葉が飛んでくることも多い。

 日本代表の3月シリーズで香川真司がロシアW杯以来の復帰を果たし、浮上したのが「10番問題」。森保ジャパンでは中島翔哉の背中にエース番号は収まっていた。今回、どちらが背負うのか。ファンは注目した。

 ふと、ある選手を思い出した。本田圭佑。今や「4番」が看板になっているが、DFのような数字を選んだ背景には、10番への思いが隠されていた。本田が4番を初めてつけたのが2012年5月。それまで彼は10年南アフリカW杯でつけた18番を背負っていた。事あるごとに「代表の10番をつけたい」と豪語していた。

 しかし、思いとは裏腹に11年アジアカップ以降、エース番号は香川のものに。本田は18番というあてがわれた数字をつけ続けるぐらいなら「何かおもろい、インパクトある選択をした」と、当時4番の栗原勇蔵(横浜M)から譲り受けた。

 こだわりは捨てきれなかった。14年1月、本田はイタリアの名門ACミランの10番を背負った。「皆さんに逆に聞きたい。10番をつけるチャンスが目の前にあって、違う番号を選びますか。僕は喜んで自分から要求した。重圧はあるでしょうが後悔することはない」。代表で実現できなかったエースナンバー10への愚直な本音だった。

 先日、かつて名古屋で活躍した“ピクシー”ことストイコビッチを取材した。彼もまた10番に対する熱のこもった思いを明かした。「10番以外でプレーすることはあり得なかった。背負えるのは選ばれた選手だけ」。1990年代はサビチェビッチやミヤトビッチといった強豪クラブのエース選手が同郷にいたものの、ピクシーはユーゴスラビア代表の10番であり続けた。

 夢、憧れ。10番に胸を熱くした本田やピクシーの姿を見てきて思うのは、やはりこの番号はこれからもサッカー界ではスペシャルであるべきということ。その意味でも「10番は自分の誇りでもある」と堂々と語った香川が今回、再びエース番号をつけたことに価値がある。懐古的な思考と言われてもいい。でもやっぱり「10番」は特別だ。

 ☆にしかわ・ゆうき 1981年生まれ。明治大卒。専門紙「EL GOLAZO」で名古屋を中心に本田圭佑らを取材。雑誌「Number」(文藝春秋)などに寄稿し、主な著書に「日本サッカー 頂点への道」(さくら舎)などがある。