武田修宏氏 森保ジャパンの新戦力は半分も生き残れない

2019年03月27日 16時30分

交代した香川(右)と握手する森保監督

【武田修宏の直言!!】日本代表は26日に神戸で行われた国際親善試合でボリビアに1―0で勝利。今回は新戦力のテストがメインで22日のコロンビア戦からメンバーを総入れ替えしたものの、思い描くような戦い方ができずに森保一監督(50)も戸惑っているんじゃないかな。

 日本はDFラインからパスを回し、試合の主導権を握っていたけど、攻撃は単調だったでしょ。特に前半は、両サイドを起点にドリブルで中央に切り込んでいくばかりで、メリハリをつけるなどの工夫もあまり見られなかった。森保ジャパンが目指している2、3人がボールに絡んでいく連動性があまり出せなかったってことだよ。

 確かに先発は新メンバーばかりで森保ジャパンの常連組が不在というハンディはあった。だけど、昨年からコンビネーションで崩さないと世界に勝てないからって連係や連動を重視してきたわけ。そこが新戦力に浸透していなかったのは、森保監督にとっても予想外だったと思うよ。

 結局、“三羽ガラス”と言われている2列目の中島(翔哉=24、アルドハイル)、南野(拓実=24、ザルツブルク)、堂安(律=20、フローニンゲン)が揃ってからチームに連動性が出てきたからね。その差は明らかだったし、今回の新戦力は半数も生き残れないんじゃないかな。やはりアジアカップを戦ったメンバーの方が優位だよね。

☆武田修宏:たけだ のぶひろ=1967年5月10日生まれ。静岡県出身。幼少期から「天才少年」と呼ばれたストライカー。名門・清水東(静岡)から1986年に読売クラブ(現東京V)入り。ルーキーながら11得点を挙げ、リーグVに貢献し、MVPにも選出された。Jリーグ発足後はV川崎や磐田、京都、千葉などでプレー。2000年には南米パラグアイのルケーニョに移籍。2001年に東京Vに復帰し、同シーズンで現役引退した。Jリーグ通算は94得点。JSL時代も含めれば152得点を挙げた。1987年に日本代表に選出。1993年米国W杯アジア最終予選でドーハの悲劇を経験した。