幻の米国移籍計画 引退・小笠原が貫いた鹿島愛 

2018年12月28日 16時30分

キャリアのほとんどを過ごした鹿島で引退する小笠原

 J1鹿島への“愛”を貫いた。元日本代表MF小笠原満男(39)が27日、現役引退を発表した。現役生活の大半を過ごした鹿島で17度のタイトル奪取に貢献。日本代表でも2度のW杯に出場するなど活躍したが、最後まで鹿島を最優先に行動した。また日本サッカーをけん引してきたレジェンドの引退にアジアカップ(来年1月5日開幕、UAE)に向け、合宿中の森保ジャパンにも衝撃が走った。

 1998年に岩手・大船渡高から鹿島入りした小笠原が引退を決断した。

 2006年にイタリア1部メッシーナに移籍した1シーズンを除き、鹿島一筋。チーム20冠のうち17冠に貢献し、J1通算525試合で69得点を挙げ、09年にはMVPに選出された。日本代表では02年日韓、06年ドイツW杯に出場した。

 小笠原はクラブを通じて「これまで自分を支えてくれた方々、一緒に頑張ってきた選手達、応援してくれたサポーター、鹿島アントラーズに関わるすべての方々に感謝しています」「鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とても嬉しく、そして誇りに思います」などとコメントした。

 普段は寡黙ながらも自分の哲学を貫き、黙々とプレーする姿は多くの選手からも支持された。特に鹿島というクラブに愛着を持ち、脈々と受け継がれる“ジーコイズム”の伝道者としてもチームに貢献してきた。そんな小笠原は、鹿島のために“幻の移籍計画”を立てていたという。

 それが米メジャーリーグサッカーへの移籍だった。ある代理人は数年前の話として「小笠原はベテランの域に入って『このまま鹿島にいても負担になるかもしれない』と言いだして海外移籍を検討していた。米国に行きたいということで、受け入れ先を探していた時期があった。別にクラブから言われたわけではなく、自分から鹿島のためにと…」。

 世代交代を進めていたクラブの現状を考えての行動。鹿島以外の国内クラブでプレーする気はなかったため、米国進出を検討していたという。結果として移籍は実現しなかったが、その後は小笠原は考えを改め、鹿島のさらなる躍進と後進の育成というテーマを持ち、今季は悲願だったクラブ初のアジア制覇に力を注いだ。99年の世界ユース選手権(現U―20W杯)で準優勝。MF小野伸二(39)らとともに「黄金世代」と呼ばれた。唯一の“スキャンダル”は04年の日本代表合宿中に同僚7人と飲酒し「キャバクラセブン」とやゆされたこと。今後は鹿島と日本サッカーのために再スタートする。