かつての相棒が激白だ。日本代表の森保一監督(50)は就任3戦目となる国際親善試合ウルグアイ戦(16日、埼玉)に臨む。南米の強豪国を相手に指揮官としての真価が問われる戦いとなるが、選手時代に日本代表でコンビを組んだMF吉田光範氏(56)が本紙インタビューで当時の秘話を公開。指揮官の資質を評価した上で、課せられた“使命”についても緊急提言した。

 ――オフトジャパン時代のチームメート。最初の印象は

 吉田氏:浜松で最初に招集された時に名前すら分からない。(合宿前に)柱谷(哲二=J3北九州監督)と連絡を取って「(名前は)何て読むの?」から始まってね。どこで切っていいのか分からなくて「モリ・タモツ」…。「モリヤス」なのか「モリ・ポイチ」なのか…。そう話しているうちに「ポイチ」でいいかとあだ名がついたんだ。

 ――選手として印象に残っていることは

 吉田氏:学ぶ姿勢が強くて自分がどうプレーするかをよく考えていた。ポジショニングの意味を理論的に分かっている。攻撃に切り替わった時の判断も素晴らしい。ラモス(瑠偉)さん、北沢(豪)がいる中盤で物おじしないでやれていたよね。

 ――「ドーハの悲劇」と呼ばれた米国W杯アジア最終予選を経験し、代表監督に

 吉田氏:あの緊張感の中でミスができない。短い時間でコミュニケーションを取らなければならない。あの経験をした人間にしか分からないことがあるので、厳しい中でやらなければいけないことを選手に伝えられると思う。それに選手も刺激を受ける。そういう相乗効果が楽しみ。

 ――恩師のハンス・オフト氏と同じ日本代表監督になった

 吉田氏:オフトの森保に対する評価は、視線の位置が良くて周りの位置を考えて走るから良い判断と良いアクションができるところだった。森保が(選手を)選ぶ側の立場になっても、そこを見ると思う。

 ――森保監督ならではの視点がある

 吉田氏:森保がオフトに引き上げられたように、ポテンシャルを発掘されて開花する選手がこれから出てくる。今まで何となくプレーしていた選手が、森保によって代表に呼ばれて力を発揮し、絶対に必要な選手になったりね。J2や海外とか「こんなやついたのか」という選手が出てくる。自分の目を大事にする男なので、いろんなところに足を運んでチェックしていくはず。

 ――オフト氏にアドバイスを求めてもプラスになりそうだ

 吉田氏:森保はアドバイスを受けたり、いろんな意見を聞きたい人間だから。オフトさんや(元日本代表監督イビチャ)オシムさんの意見をもらったり、受け入れながら吸収できる人間なのでね。日本サッカーを理解している方々の評価を聞くことで彼も学ぶだろうし、評価をどんどん聞いたほうがいい。

 ――A代表監督として初めての公式戦となるアジアカップ(来年1月、UAE)は重要だ

 吉田氏:日本代表は勝つことが義務づけられているが、勝利を目指しながらも何をやるかが求められている。日本サッカーとして勝つためにどういうチームをつくっていくか。そこにフォーカスして優勝がついてくればいい。その先に東京五輪での優勝、A代表は次の(カタール)W杯のチケットが目標になる。

 ――コーチとして臨んだロシアW杯の経験も生かせる

 吉田氏:(決勝トーナメント1回戦)ベルギー戦で2―0から(3失点し)負けて何か足りないものがあると思う。そのエッセンスを取り出し、攻撃でどう足し算していくか。結構ヒントはあったはず。強靱なブロックをどう崩すのかというテーマで、何ができるか。あるいは下がられたら攻撃できるか。崩しのところで日本人の良さを出しつつ何ができるかを見せてほしい。「その責任があなたにはありますよ」と書いておいて(笑い)。

 ――最後にエールを

 吉田氏:日本人にしかできないサッカーを見せ、いろんなところに足を運んでより良い選手を代表に選んでほしい。ネットワークと情報をしっかり集めて世界中に散らばっている(ポテンシャルのある)選手をしっかり拾い上げてほしい。

 ☆よしだ・みつのり 1962年3月8日生まれ。愛知県出身。刈谷工高(愛知)からヤマハ発動機サッカー部に入団し、83年の天皇杯優勝、87年の日本リーグ優勝に貢献した。日本代表として国際Aマッチ35試合2得点。「ドーハの悲劇」と呼ばれた93年米国W杯アジア最終予選メンバー。引退後は古巣の磐田でU―18監督などを歴任し、現在は故郷に設立したヨシダサッカースクール代表と刈谷市サッカー連盟副理事長を務める。

 森保監督が現役時代に日本代表に初選出された当時、同じ守備的MFでチームの中心選手だったのが吉田氏だった。「ドーハの悲劇」と呼ばれる米国W杯アジア最終予選イラク戦では、司令塔のMFラモスの背後で2人がダブルボランチとしてプレー。名コンビと言われた。吉田氏は森保監督から兄貴分として慕われており、引退後も「ちょこちょこ連絡を取っている」と親交は続いている。森保監督が日本代表指揮官に就任した際も連絡が来たそうで「僕は子供を教えるのが好きだから『俺も代表監督にしろ! U―12でな』とお願いしたよ(笑い)」と吉田氏。指揮官の良き理解者の一人だ。