武田氏&柱谷氏が明かす「人間ポイチの素顔」

2018年09月07日 11時00分

選手に声をかける森保監督

“ポイチ”の素顔とは――。“ドーハの悲劇”と呼ばれた1993年米国W杯アジア最終予選で日本代表の森保一監督(50)とともに戦った元日本代表DF柱谷哲二氏(54=J3北九州監督)と同FW武田修宏氏(51=本紙評論家)が激論を交わした“緊急対談”。後編では「人間・森保一」に迫る。誰もが絶賛する人柄の裏で周囲を驚かせる“怪行動”を見せていたという。

 武田氏:選手時代の森保監督は真面目で人間性も素晴らしかった。周囲の選手への思いやりみたいなものがあったし、何事にもしっかり取り組んでいました。ピッチ内外で、ロシアW杯後に日本代表からの引退を表明したMF長谷部誠(34=Eフランクフルト)のようなイメージですかね。

 柱谷氏:代表のとき同部屋で、最初は無口で部屋では本を読んでいることが多かったからね。けど、チームになじんでくると福田(正博)や井原(正巳)らとよくしゃべっていたよね。話題の中心にいるってわけじゃないけど、いい感じで打ち解けていたよ。

 武田:プレースタイルとしてはバランサーかな。1対1も強かった。オフトジャパン時代は、ラモス(瑠偉)さんが攻撃の起点になる中、その後方でカバーリングしながら、チームのバランスを整えていましたよね。陰で選手を支える黒子というイメージがありますし、パフォーマンスも安定感がありましたね。

 柱谷:最初は全くの無名だったから常連組はみんな「誰?」みたいな感じだった。でも、彼が代表で初先発した(1992年5月の)アルゼンチン戦は、いいパフォーマンスで敵将から賛辞を贈られたくらい。当時は日本代表で目立ちたいと思っている選手が多い中で黒子に徹した。みんなが「コイツすごいな」って思ったし、彼自身もここで自信をつかんだんじゃないかな。

 武田:とにかくキチンとしていますからね。自分の中でしっかりとビジョンみたいなものをつくっているから軸がぶれない。それはピッチ外でも同じでしたし、監督になってからも生かされているんじゃないですか。

 柱谷:人間的にも芯が強い。周りの意見も聞ける一方で自分の主張もできる。ラモスさんが、中央突破で攻めたがっているときも(ハンス)オフト監督の指示通りに淡々とサイドにボールを出していたしね。もちろん、それでケンカしたとかはなかった。そういう意志の強さはラモスさんも認めていたんじゃないか。

 武田:森保監督は人柄も良くて優しい性格なんですけど、意外にも胸の内に秘めた熱い部分があるというのか…大和魂とか武士道みたいなものを持っていたんですよ。当時からそういうものをすごく感じてました。

 柱谷:そういえば、印象的なのはドーハの悲劇のイラク戦後だね。ホテルに戻ると、ショックでベッドにうつぶせになって泣いていた。そのうちにベランダの方にフラフラ出て行ってまさかと思ったね。思わず「ポイチ、オイ!」って声をかけたら力なく「ハイ」って返事して「暑いのでベランダに出ようと思いました」って。部屋はクーラーが効いているし、外の方が暑いんだから、もしかして…なんて考えちゃったこともあった。今じゃ笑い話だよね。