オート界屈指の追い込み屋・中村雅人が“最強の脇役”に徹する理由

2014年12月31日 09時00分

憩いの場・競馬場でくつろぐ中村

 オート界屈指の追い込み屋。競馬や競輪、異業種の個性派と比しても、終盤の勝負強さではピカイチと言える“豪脚”を披露し続けているのが中村雅人(33=船橋)だ。最強、かつ理論派でもある男がオフに感性を磨く“試走”の場は意外なところにあった。地方競馬場――。勝負勘を研さんすると同時に心を癒やす最高のひとときだ。

 ホッとひと息つく休日の一コマ。自宅にママ友が来客することになると、「どことな~く」居場所を失った夫が癒やしを求めて足を運ぶ先が競馬場だ。非開催時の場外発売でも、開催時でも安らぎと高揚感は変わらない。

「もちろん結果(馬券収支)も大事だけど、こうやってボーッと馬場を眺めてるだけでいいんですよ。気持ちが落ち着くし、いろいろ考えることもある。ママ友がウチに来てる時は大抵ココ(笑い)」

 150キロ近い極限のスピード勝負を繰り広げる心身のストレスは相当なものがある。休日にこうして心をクールダウンさせることが何より大事と知ったのはここ数年。

 2014年に行われた4回のSGのうち、すでに2つを制覇(12月30日現在)。誰もが認める第一人者となった今だからこそ、話せる心残りがひとつ。9月の伊勢崎「オートGP」を腰痛のため直前欠場。戦わずして大舞台から姿を消したのは、勝負に生きる人間にとって痛恨の極みだ。

「楽しみにしてくれていたお客さんがいると思うと、ホント情けない。車の整備をする前に、自分の体の整備をしっかりしろよって言いたくなりますよね。年齢的に選手生活で一番いい時期なのに、こんなことをしてるようでは…。なんだかなあ…」

 無念。持病の腰痛が悪化し、断腸の思いで届けを出すしかなかった。今後もうまく持病と付き合ってやっていくしかない。それでも、周囲に左右されず、無理にジタバタ動かないことで得られた「正解」も少なくない。

 初Vを成し遂げた11月の飯塚「日本選手権」では腰の状態を最優先にして、整備は必要最低限にとどめた。

 地面に正座をしながら不自然な格好で車をいじるシーンを見て、真向かいのロッカーに構えていた永井大介が「子供みたい」と笑い転げたほど。こんな光景はSG戦線でしばらく続くかもしれない。

 一度、本人に確かめておきたかったことがある。ファンから見れば五指に余るであろう生涯のベストマッチは果たしてどこにあるのか――。
「そういわれてみると…。コレっていうのはないですね。さざんか(11年船橋GII優勝戦)も、皆さん挙げてくれるけど、僕は2着で負けてますから(笑い)。今改めて見返すとホント雑な走りをしてますね。まあ、あれがあったから引き出しも増えて、今の自分があるのも確かです。ベストマッチは模索中ってことにしておいてください」

 馬券は穴党。「言い方は悪いですけど、これまで苦しい時にクズ馬に何度、助けられたことか(笑い)。新聞でも無印、人気も全くない。なぜかこんな馬でいい思いをさせてもらうことが多いんですよね」

 こう苦笑いする姿は自身のレーサーとしての心構えに似ている。どんなに強くなってタイトルを量産しても、主役として脚光を浴びるよりは、最強の脇役に徹し続けたい。

「自分は主役の器じゃないのはわかってますから。(青山)周平や永井さん。強い人たちに、ちょこちょこと。ずっとちょっかいを出す厄介な存在であればいいんじゃないですか」

 自身のホームバンクが廃止の危機にある時代だからこそ、こんな思いも強くする。「オートレースがどんな状態であってもついてきてくれるお客さんにはホント感謝してるし、絶対に裏切りたくはない。車券で負けても“おもしろかった。また来よう”。そう思ってもらえるようにならないといけない。僕にできることはレースで魅せること。それしかない」

 年末年始を迎えると「人生もう1回やり直せたら…」。こう顧みる人間は多い。そんな時こそこの男の車券を握りしめ、“逆転人生”を堪能するのも一興。明日への活力が少し増してくるはずだ。

☆なかむら・まさと=1981年2月21日生まれ、33歳。2003年4月デビューの28期生。10年の川口「スーパースター王座決定戦」でSG初V。14年は4月の川口「オールスター」、11月の飯塚「日本選手権」を制している。SGは通算V4。高校時代にボクシング経験があり、愛車にはモンソン、ハグラー、チャベスなど往年の名選手の名をつけたものが多い。身長159センチ。血液型=AB。