日本競輪選手養成所の119回生として競輪選手となる訓練を受けた“トータルサイクリスト”新村穣の養成所リポートは今回が最終回。伝えたい思いが書きつづられている。

 東スポWeb読者のみなさま、こんにちは! 日本競輪選手養成所(以下、養成所)、第119回選手候補生から、現在は日本競輪選手会神奈川支部所属の119期となりました新村穣です。

 3月1日に養成所を卒業し、同日付で競輪選手としての資格を競輪執行法人に登録されました。「養成所リポート」というタイトルでコラムを担当させていただくのも今回が最後になります。立場はすでに選手候補生ではありませんが、私が10か月間、平時とは違う養成所で見て、感じて、学んできたことを、わずかでもみなさまにお伝えすることができたら幸いです。

 2月には選手資格検定、第2回トーナメント競走、卒業記念レース、そして3月の卒業式まで息つく間もなくたくさんの行事が執り行われてきました。一つひとつの行事にはそれぞれに「求められていること」がありました。昨年5月から長い時間をかけて、公営競技の選手として養成されてきた今なら、与えられた使命と、全うしなければいけない責任について理解し、今しなければならないことを自分自身で考えて行動できるようになりました。

 そんな中、集大成である卒業記念レースでは「競輪選手」ではない私の最後の競走だったので、自分の意思で2日間(4レース)とも先行勝負することを走る前に決めて臨みました。

 インターネットで視聴してくださった方も多いと思いますが、最後まで先行逃げ切りはかなわず、最終レースの4回戦が3着、在所51位という順位が10か月の養成期間で得られた、目に見える結果になります。

 10か月を振り返ると、養成所にはたくさんの同期生(119、120期)と朝から夜まで一緒に過ごし「全員が異なる育ち方をしてきて、もうすぐ競輪選手になる同じ境遇にいる」という言葉では表現が難しい不思議な関係でしたが、外には見えない成功と失敗について一緒に感じ、支え合ってきました。

 同期生だけでなく、教官、養成所関係者のみなさまは困ったときにいつも手助けをしてくださいました。遠方にいるそれぞれの師匠や家族の支えも、新型コロナウイルスの流行による平時ではない時だからこそ、その優しさに何度も救われました。

 養成所の中ではなにもできなかった私たちが無事にデビュー戦を迎え、競輪を走ることでこれからは助けてくださった方や困っている人の支えになれるよう、自転車を武器に各地の競輪場を駆け抜けていくと思います。

 最後にはなりますが、このコラムを実現、連載をさせてくださった東京スポーツ様、公益財団法人JKA、日本競輪選手養成所の担当者様のご協力に感謝を申し上げます。

 次はより成長した姿を読者のみなさまにお伝えできる機会をまたいただけるよう、これからも走り続けてまいります! (終わり)

 ☆しんむら・みのり 1993年10月16日生まれ、27歳、神奈川県出身。177.7センチ、73キロ。法大卒。トラック中距離、ロードだけでなく様々なレベルで活躍するため“トータルサイクリスト”と呼ばれている。