深谷知広 競輪界の悲願「東京五輪で金メダル」へ競技再挑戦

2017年08月01日 11時00分

自転車競技に再挑戦する深谷

 東京五輪の開幕(2020年7月24日)まで3年を切った。競輪のトップレーサー・深谷知広が待望の自転車競技再挑戦を決め、ニッポンの大きな期待を背負っている。

 深谷は桜丘高校時代から世界に羽ばたく逸材として注目を集めていた。ジュニアの時に海外遠征の経験もあり、競輪選手になってからもしばらくの間はナショナルチームの活動に参加した。だが「競輪との両立は難しく、どちらも中途半端になってしまうのは」と競技を断念してしまった。それからは競輪に専念していたが昨年末に血が騒ぎ始めた。「もともと競技は好きでずっと見てましたから」。時が流れて環境も変わっていた。

 新田祐大と浅井康太が中心になって昨年4月に立ち上げた東京五輪を目指す自転車競技のトレードチーム「ドリームシーカー」(※1)への参加を呼びかけられた。「昨年末ですが、ちょうどまた競技をやりたいなと思っていた時に新田さんに声をかけてもらったんです」。自転車への飽くなき探求心は変わっておらず「最新の自転車を買ったばかりでした(笑い)」。ドリームシーカーへの加入を決断すると、今年2月末には米国・ロサンゼルスで開かれたワールドカップ第2戦の観戦に出かけた。「本物を見て気持ちが固まりました」。最速への衝動が全身を貫いた。

 5月中旬に宮城県の大和競技場で開かれた「全日本選手権自転車競技大会―トラック」から競技大会へのエントリーを再開した。するとケイリンでいきなり優勝。当月末には競輪選手が自転車競技を競う「全日本プロ選手権自転車競技大会」でもケイリンで優勝した。そして、6月台湾で開かれた「台湾トラックカップ」ではスプリントで、リオ五輪でケイリンで銀メダルを獲得した実力者マティエス・ブフリ(※2)を倒して優勝した。

「ブフリに勝てたけど、あれはまた別の競技という感じでした…」

 今月上旬に東京五輪の自転車競技の会場である伊豆ベロドロームで行われた「2017ジャパントラックカップ大会」に参加。これが第一歩だと振り返る。250バンクを走るのは「6年ぶりかな…」。この大会を走ったことで「ようやく競技に復帰した」と言えるのだ。「JTCII」(※3)のケイリンの準決では圧巻のパワーを発揮して逃げ切り。これこそ深谷だと、インパクトを与えた。その決勝では残り2周で無念の落車に終わったが、つかんだものはとても大きかった。

 期待、不安、自信、いろんなものが交ざりつつ「JTCを走る時から強化指定選手にも戻った。競技をやる限り五輪が一番高い目標になってくる。でも、自分がどうというより、ナショナルチームとして、日本がメダルを取るため、それに関わること」と自分を位置づけている核心がある。拠点を伊豆に置き、ナショナルチーム短距離ヘッドコーチのブノワ・べトゥの指導を受けることも楽しみで仕方がない。

 深谷に声をかけた新田は競輪でタイトルを量産し、自転車競技の成績も伸ばしている。「すでに新田さんや(渡辺)一成さんは競輪と競技の垣根を取っ払っていると思う。まずは2人についていくこと」。深谷に期待されるのは“日本最強の選手が世界に挑んで、頂点に立つ”という競輪界の悲願だ。

「アテネ五輪のチームスプリント銀メダルの時はまだそんなに見てなかったけど、北京五輪の永井(清史)さんの活躍は、はっきり見てました」

 3年後、深谷が世界を貫くガッツポーズこそ、競輪と自転車競技、競輪選手とファンをつなぐ無上栄光の巨大な懸け橋になる。

 ※1=ナショナルチームに選ばれていなくても国際大会への参加、経験を積むことができるトレードチーム。世界各国にトラック、ロードのチームがある。東京五輪に出場できる選手を育成、輩出する目的を持つ。
 ※2=オランダ出身。16年リオ五輪ケイリン銀メダル。19日には大宮競輪場で12秒8という500バンクで日本新記録となるバンクレコードを打ち立てた。
 ※3=JTC7月7~9日の大会をⅠ(7日)、II(8、9日)に分けて開催。
 ※4=オーストラリア出身。女子自転車競技で長く頂点に君臨した。
 ※5=オーストラリア出身。13年にガールズケイリンに短期登録制度で参加したこともある。

☆ふかや・ともひろ=1990年1月3日愛知県生まれ。169センチ、90キロ。輪界の先頭を突っ走る永遠の“怪童”。2011年高松宮記念杯、14年寛仁親王牌のGI・2V。世界が恐れるニッポンのリーサルウエポン。