別府競輪の「モーニング7」(FⅡ)が25日に最終日を開催する。5Rガールズ一般の飯塚朋子(43=奈良)は代謝制度により今期限りの引退が決定しており、補充を走らなければこのレースがラストランとなる。

 デビューから10年。ガールズ草創期を支えてきた花の1期生がまた1人、バンクを去る。

「前から辞めどきを考えていたんです。今年はちょうど10年。代謝制度ってこともあったけど、このあたりだなって。気づけば、あっという間の10年。早かったですね」

 ガールズケイリンが始まったころは、ベースとなる型がなく、選手たちがみんなで共通の志を持ち、今のスタイルをつくり上げていった。彼女たちの奮闘なくして現在の隆盛はなかったといっていい。

「最初のころはみんなでつくり上げていった感じがありましたね。楽しかったです」と、元・マウンテンバイクの選手らしく巧みなハンドルさばきと器用な身のこなしで前々に攻め込むレースで、ガールズ業界を盛り上げ、上位クラスに君臨していた。

 ところが、その後、新人たちが続々と出現しガールズケイリンそのものが軌道に乗ると、徐々に力の差を感じ出してきたという。

「みんな強くなっていて。もし私にピークの時の脚があっても、今の上位選手とは渡り合えないと思ったんです。だからって勝負できずにずっと続けるのも嫌だったし、上を目指せなくなった以上は…。ここ何年かそんなことをずっと考えていました」

 心の奥底に残る迷いは揺れるばかり。そこへ追い討ちをかけたのは4月岐阜最終日の落車だった。「右鎖骨骨折」と診断され約1か月、戦線離脱を余儀なくされた。

「1期生のなかでも50走近く出走本数が多いんです。これまで落車しても次のレースを走ったりと休むことなく健康だったんですよね。だから、一気に気持ちが切れた感じでした。年齢的にもう一回、気力を上げるのは時間がかかるんです。逆に言えば、踏ん切りがついたというか」

 心残りはないかと聞くと「次の目標もできたし、ないですね。1期生は、(小林)莉子ちゃんが何より頑張ってくれるでしょう」と清々しい笑顔で答えた。

 次の進路は「将来的には会社を経営して子育て世代やアスリートといった人たちを雇用し、社会貢献がしたいと考えています。でも今の私には技術やスキルがない。まずはフランチャイズの会社で経営を学び、いずれは自分でと考えています」とのこと。

 ガールズケイリンで培った、諦めずに前々へと攻め立てる不屈のガッツで第二の人生も軌道に乗せて欲しい。


写真 飯塚朋子

エトキ=ラストランを迎える飯塚朋子