ボート界のレジェンド 語り継ぎたい思い出の名勝負

【森竜也(50=三重・59期)】(2005年・浜名湖「開設51周年記念」)

 昭和のボート界を席巻したレジェンドの航跡をたどる「思い出の名勝負」。三重のドラゴンの愛称で親しまれている森竜也にとって、全盛時、常に背負っていたものがある。三重支部の「看板」だ。制したGⅠタイトルこそ2005年の浜名湖「開設51周年記念」のみだが、彼にとってはこれが今後の三重支部を発展させるための重要な勲章となった。

 今でこそ井口佳典を中心に他支部に負けない“戦力”を誇っている三重支部だが、昭和後期から平成にかけては弱小支部の代表でもあった。

「ここは楽でエエなあ」「三重やからメンバーは軽いしな…」

 盆と正月。津の地元戦に遠征してきた他支部強豪からこんな陰口を叩かれるのはいつものこと。そのたびに屈辱感にまみれ怒りがこみ上げてきた。

「自分らにも三重県のプライドがある。若い時から支部役員の仕事に時間を割いてきていつも思っていたのが、何とかして三重を強くしたい。そのためには一人でも多くの後輩を記念戦線に送り込むしかない。とにかく数。下手な鉄砲やないけど、人数をそれだけ記念に出場させれば、何かが自然と変わってくるはずと思って頑張ってきた」

 20代前半から三重のエースと呼ばれ続け十数年。29歳の時、両手首のケガで満身創痍の状態になっても最前線にしがみつき踏ん張った。「記念に出続けていれば、いつかは取れるやろと思っていたけど、こんなに時間がかかるとはね」

 初のGⅠタイトルを手にしたのはデビュー18年目のこと。遅咲きの苦労人との表現がピッタリくる。地元の津の記念など気合パンパンで勝負に出て取れなかったものが、無欲の時にいくつものツキが重なりあって巡ってくるとは不思議な縁である。

 悲願の初タイトルはちょうど10年前の2月。当時、新鋭王座決定戦が行われた直後の開催だった。「菊地孝平や坪井康晴。彼らだけでなく静岡の売り出し中の若手がいなかったのはツイてたね」。そしてもうひとつ。「エンジンがサッパリ出てなかったから途中、ヤケクソでスリーブを替えたら“ブンブン”に噴くようになった(笑い)。それでリラックスできたのが大きい。とにかくラッキーが重なった」と当時の心境を振り返る。

 タイトルを手にした後も常に脳裏をよぎっていたのが「三重支部の充実」だ。「体もボロボロやったし、辞める前に取れたのはうれしかった。あれから3年。井口が平和島の笹川賞(現オールスター)を取ったことが何よりうれしかったね」

 三重勢では瀬古修以来、19年ぶりのSGタイトルをもたらしたのは、長年にわたる森の“気概”が影響したとみる関係者も多い。「井口の後にもどんどん生きのいい若手が出てきてホントうれしいよね。選手になって良かったと思う。これで三重をバカにするヤツはもういないでしょ」。最後の言葉に実感がこもっている。

☆もり・たつや=1965年5月13日生まれ、50歳。1986年11月津でデビュー。3年後のとこなめで初優勝を飾る(通算57V)。2000年から8年連続でSG「オールスター」に選出されているように三重を代表する人気選手でもある。59期の同期には植木通彦やまと学校校長や今村暢孝、山田豊らがいる。身長162センチ。血液型=AB。