ラストランで1着!――女子レーサー界の第一人者・鵜飼菜穂子(愛知・61)が29日、ボートレースとこなめヴィーナスシリーズ第15戦・最終日第8Rを最後に引退した。そのラストランはインからトップスタートを決めて、見事な逃げ切り快勝! 通算1692勝目を挙げて、39年の現役生活を終えた。

 レース後には「最後はスタートだけは行こうと…。勝てたのは結果論だけど、自分のレースができたのが良かった。引退を決意したのは父の介護を5年くらいして、ボートレースという仕事が二の次になった時期があって…。出走が2、3か月に1節だったり4か月に1節しか走らない日々になって…。結果、クビという形になったけど、ここ5年くらいで流れが悪くなって」としみじみ語った。

〝レジェンド〟に続き〝女傑〟も…。今月8日に「ミスターボートレース」と呼ばれた今村豊氏が電撃引退したばかりだが、それから3週間、今度は女子レース界の第一人者が、静かに艇界を去る。第3回大会から女子王座決定戦(現レディースチャンピオン)3連覇など、数々の記録を生み出し、女子ボートレース界の礎を築いた鵜飼が、これまでを振り返った。

 偶然にも48期の同期生・今村豊氏と時を同じくしての去り際には時代の移ろいを感じさせる。男子強豪相手に一歩もひるむことなく闘志むき出しで戦い続けた鵜飼が残した功績とはいかに。また、強烈な個性を生み出した背景には何が影響していたのか。

 1981年11月。デビュー戦の蒲郡で新人女子選手がいきなりインコースを狙いにいき、周囲の反感を買った。だが、選手仲間の反応は様々で賛否両論ある中、鵜飼の強烈な意思表示に共感するファンも少なからずいた。デビュー間もない「小娘」がなぜイン屋として生きていくことを決めたのか。

「別に最初からなろうと思ったわけじゃないのよ。とにかく同期のみんなに追いつきたい一心で必死だった。モーターボートは絶対にインコースが有利。それならインから行った方が勝つには一番早いと考えるのは当然でしょ」

 鵜飼は選手生活39年で2度、大怪我をしている。1度目はデビュー直前、蒲郡での練習中のことだった。大時計に激突して右手を骨折、同期より半年遅れでの船出となった。それだけに「最初からみんなより遅れていた」劣等感がイン屋として生きるきっかけとなった。